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近畿 地方議会・首長,政治・選挙スレ
5414
:
チバQ
:2016/11/22(火) 22:58:02
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1611210005.html
【大阪ダブル選1年(中)】課題は「橋下依存」克服 根強い待望論、〝ロス〟で一時苦境も…参院選「強気の賭け」で躍進
11月21日 07:04産経新聞
【大阪ダブル選1年(中)】課題は「橋下依存」克服 根強い待望論、〝ロス〟で一時苦境も…参院選「強気の賭け」で躍進
維新をめぐる経緯と今後の流れ
(産経新聞)
「自分の能力はそんなに高くないから、これまで力を振り絞ってやってきた」
10月下旬、産経新聞のインタビューに、大阪維新の会代表の松井一郎(大阪府知事)はかみしめるように語った。維新前代表の橋下徹(前大阪市長)の政界引退によって党の〝顔〟となり、約1年がたつ。
ただ、維新内では今なお橋下待望論は根強く、外部からもその動向に注目が集まる。昨年12月の政界引退後も橋下や松井と会食を重ねる首相の安倍晋三でさえ時折、橋下に「いつ、戻るの?」と水を向けるが、本人は「いや、僕はないですよ」とかわすばかり。橋下側近の幹部も「もう一度政界に復帰してほしいという思いはあるが、『出てほしい』とお願いして動く男じゃない」と話す。
昨年11月22日、松井と維新政調会長の吉村洋文(大阪市長)が圧勝を収めた大阪ダブル選当日。2人の当選確実を伝えるニュース速報を大阪市内のホテルの控室で見届けた橋下は「記者会見に出るのは主役の2人でいい」と告げ、会見場にはあえて姿を見せなかった。
選挙で獲得した民意を追い風に、党勢を拡大していった橋下。民意を意識した刺激的な言動は「橋下劇場」とも評され、維新人気を支える原動力となったが、その発信力に依存しすぎるあまり「橋下商店」とも揶揄(やゆ)され、その限界をしばしば露呈した。
後を受けた松井にとって、「橋下商店からの脱皮」が最重要課題となった。
× × ×
「議員を束ねるのはからっきしダメ」と自らを評する橋下に代わり、維新創設期から“女房役”として組織固めを一手に引き受けてきた松井だが、ツイッターのフォロワー数は、橋下の170万に対し松井は7万と、全国的な知名度では遠く及ばない。
橋下引退直後は「発信力の低下で組織の求心力が衰え、やがて瓦解(がかい)するのでは」と危機感を募らせる若手地方議員も少なくなかった。
松井をはじめ党幹部らはそうした懸念を払拭(ふっしょく)するかのように、「橋下は少し休憩中だ」と政界復帰に含みを持たせたが、今年4月の衆院京都3区補選で、松井が連日現地入りするも完敗。〝橋下ロス〟による苦境を印象付けた。
国会でも教育完全無償化など独自の憲法改正案を打ち出し、「改憲勢力」の立ち位置をアピールするも、与野党対決の狭間(はざま)で埋もれがちに。「地味な小政党になりつつある」と幹部は嘆いた。
潮目が変わったのは、事実上、橋下引退後初の国政選挙となった7月の参院選だった。維新は全国の選挙区に10人を擁立。このうち本拠地の大阪選挙区(改選数4)には2人を立てる強気の賭けに出た。少しでも議席を積み増し、改憲勢力として国会で存在感を示す必要があったためだ。松井と気脈を通じる官房長官、菅義偉(すが・よしひで)らの意向もあったとされる。
参院選で橋下は維新の法律政策顧問として、公約作成や候補者の演説指導に携わったが、裏方に徹した。
一方の松井は、以前は橋下と分担していた全国遊説のほとんどをこなし、テレビの党首討論にも積極的に出演。かつて仲違いした旧みんなの党代表の渡辺喜美を比例代表候補に迎えるなど、なりふり構わぬ戦術で無党派層に望みをつないだ。
大阪では幹部が「今回は風はない。死ぬ気でやれ」と危機感をあおり、背水の陣を敷いて票の掘り起こしにかかった結果、大阪選挙区2議席と比例代表を含めて全国で7議席を獲得。非改選と合わせ12議席となり、参院での法案提出に必要な議席数を確保した。与野党候補がひしめく本拠地での2議席確保は全国的にも強烈なインパクトを与えた。
「非常に厳しい選挙だった」。松井は選挙当日の記者会見でこう振り返ったが、その表情には、橋下の風に頼らず結果を出した自信と安堵(あんど)がにじんでいた。
「橋下氏がいなくなり、一人一人が自立した効果が表れている」。松井は橋下引退後の維新を自賛する一方、「これまでやってきた戦友やから、やっぱり寂しさはあるよ」と漏らす。
「橋下・松井の改革を全国へ」をキャッチフレーズにする松井は、10月の富山県議補選の応援でも訴えたが、その理由をこう説明した。
「橋下は維新創立者。松下電器がパナソニックに変わったからといって、(創業者の)松下幸之助氏を消す必要がないのと同じや」
(敬称略)
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