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近畿 地方議会・首長,政治・選挙スレ

2881チバQ:2013/04/11(木) 20:43:55
http://www.asahi.com/politics/update/0410/OSK201304100023.html?ref=com_rnavi_arank
「桜田門外の変」の因縁が争点? 滋賀・彦根市長選
 【片木啓】14日告示、21日投開票の滋賀県彦根市長選で、153年前に彦根藩主の井伊直弼(なおすけ)が暗殺された「桜田門外の変」の因縁が話題になっている。桜田門外の変に参加した薩摩浪士の一族の子孫が立候補を表明。これに対し、通算4期目を目指す現職が「井伊家のまちを守る」と批判を強めている。市長選は、前回惜敗した無所属新顔も絡んで激戦模様だ。市民の間には「争点にふさわしくない」と冷ややかな声もある。

 4月初め、現職の獅山向洋(ししやまこうよう)氏(72)の確認団体が作成したビラ4万枚が市内で宅配された。ビラでは立候補表明した新顔の有村国知(くにとも)氏(38)の一族が桜田門外の変に参加したとし、「同氏の行動(立候補)は、とうてい容認できない」と批判。もう1人の新顔の大久保貴氏(49)にも有村氏の立候補について「見解を明らかにするべきだ」と求めた。

 このビラに対し、有村氏は8日会見を開き、「人の生まれは自分では決められない。市長選とは全く次元の違う話を、自分の利益のために利用している」と現職側を強く批判した。

 有村氏は、有村治子・自民党参院議員の弟で元秘書。彦根市と隣接し、母の実家がある同県愛荘町の出身で、父は元県議長、兄も県議。「愛着がある彦根に活気を取り戻したいと考え、市長をめざしたい」との理由から昨年10月に同市に転入した。

 有村氏の祖先は薩摩藩を脱藩した有村次左衛門。水戸浪士とともに桜田門外の変に参加したが、重傷を負って自害した。有村氏はその次左衛門の末弟の子孫にあたるといい、「(子孫であることは)代々伝えられてきた」という。

 一方、獅山氏は89年の市長選で、9期36年間にわたり市長を務めてきた直弼のひ孫の故・井伊直愛(なおよし)氏の10選を阻み、初当選。獅山氏は3月の会見で、明治維新100周年の1968年に彦根市と水戸市が親善都市となり、交流を深めてきたとして「融和のための活動実績もなく市長になるのは許せない」と批判した。

 前回市長選で獅山氏に39票差で敗れ、雪辱を期す新顔で元県議の大久保氏は取材に「祖先のことを理由にして出馬を批判するのは人権にかかわる。大切なのは市の将来だ」としている。

 人口約11万人の同市は活性化が課題だ。市民団体「まち遺産ネットひこね」の尾田英昭代表(57)は「歴史的な巡り合わせは選挙の争点にはしてほしくない。市の発展に尽くしてくれるかどうかでリーダーを選ぶべきだ」と指摘する。

■出自でなく、正面から政策論争を

 〈大橋松行・滋賀県立大教授(政治社会学)の話〉 自分で変えられない出自に触れて相手候補を批判することは、人権感覚が問われる。彦根は「殿様のまち」のイメージが強く、市民の心情に訴える作戦かもしれないが、今回の市長選は現市政の評価を問い、今後の市の方向性を決めるものであって、搦(から)め手からではなく、正面から政策論争をしてほしい。

     ◇

 〈桜田門外の変〉 1860(安政7)年3月3日朝、江戸城の桜田門外で、水戸・薩摩の浪士ら18人が彦根藩主で江戸幕府の大老・井伊直弼を襲撃、暗殺した事件。直弼が天皇の許可を得ないで外国と通商条約を結び、「安政の大獄」で吉田松陰ら尊王派を弾圧し、対立する水戸老公の徳川斉昭に謹慎を命じたことが背景にあるとされる。


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