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近畿 地方議会・首長,政治・選挙スレ

1191チバQ:2010/12/03(金) 22:21:33
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20101203ddlk30010422000c.html
選挙:知事選 国政の構図なぞり明暗 /和歌山
 <検証>

 現職の仁坂吉伸(60)が、前県議の藤本真利子(56)と元国労県支部委員長の洞佳和(62)の2新人に圧勝した知事選(11月28日投開票)。それは各陣営が、国政の与野党対決の渦にのみ込まれ、逆風と順風を受けた結果でもあった。渦に引き込み、あるいは引き込まれ、明暗は分かれた。計算と誤算。その深層を追った。(敬称略)【山下貴史、岸本桂司、藤顕一郎】

 ■前哨戦

 ◇模索された脱政党
 7月の参院選に向け、推薦人として「仁坂吉伸」の名を記したはがきが、県内に大量に配られた。公明比例代表の選挙用。仁坂後援会の幹部は「公明に貸しができた」と胸を張った。一方、ある政界関係者は違う見方をとる。「仁坂の名を入れても、公明票が増えるわけではない。むしろ公明支持者に仁坂の名前を売り込んだことになる」。この時期の仁坂への配慮については、「最低限の責任は果たし、知事選での自主投票も選択肢に残す“布石”なのだろう」と解説する。

 政党色の薄い選挙戦を指向したのは、何も仁坂だけではなかった。大票田・和歌山市で、仁坂後援会と、民主県連代表の岸本周平(衆院和歌山1区選出)の後援会は、多くが重なる。民主関係者の間でも当初浮上したのは、首都圏の会社経営者。選挙経験はない。それぞれが思惑を抱え、政党色を薄めた選挙戦が模索されていた。

 ■転回

 ◇囲い込みに出た自民
 しかし、水面下では異なる動きがあった。民主の候補者擁立が静かに進んでいた今年1月。「真利子にはもっと上を目指させる」。藤本の有力支援者の言葉が、仁坂周辺の耳に届く。関係者は一瞬、耳を疑ったという。藤本は民主県連の前代表で、幹事長(当時)。政党色は消しようがない。6月、民主県連は藤本擁立を決めた。仁坂が掲げてきた脱政党の「県民連合」路線は、これを境に急速に変質していく。

 動いたのは自民だった。7月、自らが入院中に推薦を決めた自民県連に、退院した仁坂は「ぎょっとした」と漏らした。県連会長の二階俊博は後に取材に対し、このころの仁坂の対応について「自民の推薦が『いるか、いらんか』なんて言うんやから」といら立ちをのぞかせた。仁坂は県連に推薦依頼することで合意、次いで党本部推薦を受けた。

 二階が打った手はこれだけではない。

 関係者によると、二階は10月下旬、大阪に出向き、公明を支持する創価学会の有力者と会談。公明は11月5日、県本部支持を発表した。民主対自民・公明対共産。国政と同様の構図が出来上がった。

 さらに自民県連は、県各部局の課題を県関係者から参考資料として入手し、政策協定書(政策提案集)をつくった。告示日の11日、仁坂氏と協定書を締結した。自民による仁坂の“囲い込み”が完成した。同日、県庁前でマイクを握り演説を終えた二階は取材にこう答えた。「選挙っていうのは一手も外したらあかん。すべての手を打つ」

    ◇

 10月、民主の機関紙「プレス民主」和歌山版の表紙を、行政刷新担当相の蓮舫と藤本との2ショットが飾った。写真の上には「和歌山県政にも正しい事業仕分けができるリーダーが必要です」。民主側は人気のある閣僚と藤本を重ね合わせ、「県にこんな無駄がある。それを中小企業に回す」というスタイルを目指していた。しかし陣営は民主色を薄めようとするなど、戦術も戦略も迷走した。

 同月末、自民が実施した世論調査では、仁坂は藤本に4倍以上差をつけていた。既に逆転困難な大差。その後2回の調査でも、差が縮まることはなかったという。

 ■波及

 ◇統一地方選へ始動
 「来春の統一地方選に向け、いい流れにせないかんな」

 28日夜、和歌山市の仁坂の事務所で万歳を三唱した市議の和田秀教は満足げだった。自民党和歌山市支部連絡協議会(市連協)会長。休眠していた市連協は11月5日にパーティーを開き、約10年ぶりに活動を再開した。09年衆院選で自民候補が惨敗した同市。民主候補対自民候補の得票率は衆院選で58対35。参院選では33対57。そして今回、21対72。県都の攻防に向け、第4幕の統一地方選は5カ月後に投開票される。


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