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人権・差別・同和問題

129名無しさん:2015/06/14(日) 13:32:46
>>128

「仮病サッカー問題」が報道されてから、過去の朝青龍の行状が次々に明らかにされた(月刊BOSS?2007年11月号)。2002年9月場所、横綱貴乃花に敗れた時のことである。朝青龍は花道を引き揚げながら、「ピースタ、ピースタ(畜生)」と怒鳴り声をあげながら、支度部屋へ入ってからも悔しさをぶちまけ続けたのだという。

?2005年の巡業においては、ぶつかり稽古において、十両力士を失神するまでに痛めつけた。さらに2007年4月には、他の部屋に出稽古に行き、その部屋の力士にプロレスまがいの技をかけてけがを負わせてしまったことも報道された。

?2009年の初場所で復帰した朝青龍は、好調、不調の波はあったが、2010年の1月場所まで土俵を勤めた。この場所直後、泥酔して一般人に乱暴したことを写真週刊誌に報じられ、これをきっかけとして理事会から見放された形で現役を引退した。

?相撲界の暗部を告発しているノンフィクションライターの武田頼政氏は、朝青龍について次のように糾弾している。

「朝青龍は、師匠である高砂親方や北の湖理事長の放任と、御用メディアの擁護によって増長した。平気で巡業をすっぽかし、『八百長相撲』によってすべての幕内力士を配下に治めたかのように振る舞う“独裁者”が、いずれ高転びに転ぶことは予期できた。」

?私が書き続けてきたように、相撲界には八百長や暴力が横行している。朝青龍は、その相撲界の“徒花”だったのである」(週刊現代?2007.8.18)

?週刊文春は、朝青龍の過去の様々な「悪行」をあばいている。

「……七月の名古屋場所で旭鷲山と対戦した際には、マゲをつかんで史上初の反則負け、腹いせに旭鷲山のベンツのドアミラーをヒジ打ちで破壊し、風呂場で乱闘寸前の騒ぎまで起こした」

「後輩力士へのパンチや竹刀で殴るのは当たり前。エアガンで後輩を的にしていたこともあります」

「酒の入った横綱が『朝潮コノヤロー!』と叫びながら部屋のドアを破壊し始めたんです。もう手のつけられない状態で、当時の講演会長まで殴ろうとした。タミル夫人が止めに入って殴られ、高砂親方まで殴られたんです」(週刊文春?2010.2.11)

?あらためて見直してみると、朝青龍はひんぱんに不祥事を起こしており、相撲界の「問題児」であることは明らかなように思える。しかし、思い返してみれば、相撲界の暴力体質は、朝青龍に始まったことではない。朝青龍の問題と前後して、時津風部屋の若手力士が「リンチ」により死亡し、刑事事件化されたことは記憶に新しい。また、真偽は明らかではないが、暴力問題で何度か問題にされた元横綱も存在している。

?そのような視点で見直せば、朝青龍の起こした粗暴な行為の多くは、相撲界としては「普通」の行動であったようにも思える。フィナンシャルタイムズの東京支局長である英国人デービッド・ビリングは、朝青龍に対して同情的である(NEWS?WEEK?2008.2.13)。

「日本はさまざまなルールのある複雑な社会だ。外国人はどんなに頑張っても失敗してしまう」

「朝青龍は懸賞金を左手で受け取ったり、取り組みの前に自分の体をぴしゃりとたたいたりして、『品格』がないと批判されている。だがそれは、朝青龍が日本的な繊細さを知らないことも原因かもしれない」

?あらためて考えてみると、マスコミも、一般国民も、本心から外国人力士を受け入れてはいなかったのである。彼らが相撲界の一部として行儀よく、立場をわきまえて振舞っているのであれば、多少の無礼は「戯れ言」として寛容に扱っていた。

?ところが、外国人力士が相撲界の「王」として君臨することには、日本人は我慢がならなかったのであり、些細な失敗をきっかけにして、地べたまで引きずりおろして徹底的なバッシングを開始したのであった。このような「不寛容」さは、日本社会の基本的な原理として、現在もはっきりと存在していると考えられる。


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