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598とはずがたり:2017/12/05(火) 20:16:41
デパートの将棋まつりなどにも「広島カープ」の赤い野球帽をかぶって出場し、次々と勝利した。

当時、将棋ファンの間では「恐怖の赤ヘル少年」と話題になっていたという(朝日新聞1990年6月4日夕刊)。これは母親が見つけやすいよう、羽生にかぶらせたものだった。

小学6年(12歳)だった1982年、二上達也九段に入門。同年、奨励会入会試験にも合格した。

その後、わずか1年あまりで「初段」になるなど、破竹の勢いで昇段した。1985年、15歳で「四段」となりプロデビュー。加藤一二三九段、谷川浩司九段に続く、史上3人目の中学生棋士となった。

中学時代について、羽生棋聖はこう語っている。

「中学時代は奨励会(プロ養成機関の例会)などで月3日は学校を休んでいました。でも、友達にノートを借りたり、努力している姿を先生に見せたりして、何とか赤点は取らなかった。試験の山かけは、よく当たりました」
(朝日新聞1995年2月6日夕刊)

■「天才」谷川浩司との激闘を制し、七冠制覇

羽生棋聖と同年代には、故・村山聖九段(追贈)や佐藤康光九段、藤井猛九段、森内俊之九段など、いわゆる「羽生世代」と呼ばれる強豪棋士たちが揃う。また、その上には谷川浩司九段という「天才」がいた。

1989年、デビューからわずか4年で初タイトルの「竜王」を獲得。19歳2か月でのタイトル獲得は当時の最年少記録だった。

1995年には史上初めて「六冠」となり、ついに「七冠」制覇に王手をかけた。

だが、ここで立ちはだかったのが、「目標」としていた当時の谷川浩司王将だった。

七番勝負の第7局、同一局面が4回現れる「千日手」による指し直しの末、谷川王将が勝利。4勝3敗でタイトルを防衛した。

谷川王将は当時、阪神大震災で神戸の自宅が被災。5局目まで、名古屋市にある夫人の実家から対局に通うというハンディを背負っていた。それを乗り越え、まさに意地の防衛だった。

七冠を目前に敗れた当時の羽生六冠。「再挑戦は難しい」という見方もあったが、ここからが驚異的だった。獲得していた6つのタイトルの防衛に成功。翌年、谷川王将への再挑戦を果たした。

王将戦では4連勝で谷川王将を圧倒。前人未到の「七冠」制覇を成し遂げた。こうして、「天才」の世代交代がはじまった。

■「羽生の時代は終わっていない」

あの七冠独占から、およそ20年が経った。

羽生棋聖はこの9月に「王位」、10月には「王座」と続けてタイトルを失い、2004年以来13年ぶりに「一冠」となった。

「羽生の時代は終わった」
Twitterではそんな書き込みもあった。

確かに、いま将棋界は佐藤天彦名人や豊島将之八段など20代の台頭が著しい。羽生棋聖を破ってタイトルを獲得した菅井竜也王位と中村太地王座も、ともに20代だ。


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