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444
:
名無しさん
:2015/06/20(土) 22:49:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150619-00000032-asahi-bus_all
41歳プロ棋士入り、リスタートはできる 今泉健司さん
朝日新聞デジタル 6月19日(金)14時39分配信
■就活する君へ
「自分の可能性にふたをしない限り年齢は関係ない」。今泉健司さんが昨年末、41歳で将棋のプロ入りを決めた後に語った言葉です。14歳のときに棋士を志してから27年。棋士への道は2度断念を余儀なくされ、そのつど新たに職を求めました。最後にたどり着いたのが介護の仕事。この経験が夢をかなえるきっかけとなりました。
◇
――この春、プロとしての一歩を踏み出しました。
「ぼくの年齢は将棋界では『高齢』です。勢いのある若手に勝たなくては生き残れません。ただ、結果は出してみせます。その可能性を信じていなければ棋士を目指していません。たとえ打ちのめされても、何回でもやり直せばいいんです。人生、リセットはできないけど、リスタートはできるんですから」
――三度目の正直を果たせた要因は。
「技術は『奨励会』のころもそんなに低くなかったと思います。1回目はあと1勝すればプロになれるという状況がありました。2回目には革新的な戦法を編み出した人に贈られる『升田幸三賞』を受賞することができたわけですから。ただ、精神的に未熟でした。プレッシャーに追い詰められて現実から逃避していたんです」
――どんな人にも通じそうな話です。
「負けた後にパチスロとかのギャンブルに逃げてしまいました。対局相手に当たったこともありました。負けたのは自分に責任があるのに、他人のせいにしていました。これではプロになれるわけがありません。それに気づいたのは2回目の挑戦が失敗した後のことでした。36歳のときです」
――そういう心境になったきっかけは。
「父の勧めもありヘルパーの資格を取りました。いきなり罵声を浴びせられたり、殴られたりすることがありました。最初はなぜだかわかりませんでした。半年ぐらいたってからでしょうか。そういう行動にも理由があるんだとわかってきたんです。例えば、トイレに誘導する際に叫び声をあげるおじいちゃん。戦争中にシベリアで拘留された経験があったそうです。だから、密室に閉じ込められるのを嫌がるんだと。そういうことを知るにつけ、相手の立場にたって物事を考えるようになりました。無理やり何かを押しつけると、拒否反応が返ってくる。相手の意図することができれば、『ありがとう』や笑顔が返ってくる」
「結局は自分次第なんだと気づきました。自分のやってきたことが、今の自分につながるんだと。勝負の世界も同じだと気づきました。ぼくは遊びに逃げたからプロになれなかったんです」
――30年近く一つのものに情熱を持ち続けることはなかなかできません。
「最初に奨励会を辞めたとき、プロになれないんだったら将棋を続けても意味がないと思いました。でも、実家に戻ると面識のない人から『今までやってきたことは無駄にはなりません』と将棋教室の講師を頼まれたんです。奨励会員はプロになれなければゼロの存在なんです。それなのに自分の将棋を評価してくれたわけですから、とても自信になりました。第二の将棋人生を踏み出すうえで、大きな支えでした」
――奨励会を辞めた後は仕事をしながら将棋を続けたんですね。
「働かないと食べていけませんから。ただ、行動はしました。26歳で最終学歴は中学校。普通に就職するのは難しいというのはわかっていました。まずはレンタルビデオ店のアルバイトをしました。その後、将棋が縁で知り合った人に誘われ、大手レストランチェーン店の正社員になり、3年半勤めてチーフという肩書もつきました。なのに、アマだった瀬川晶司さんが特例でプロに挑戦すると知り、衝動的に辞めてしまいました。自分にもチャンスがあるんじゃないかと思って」
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