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418名無しさん:2015/06/14(日) 22:21:34
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150611-00043661-gendaibiz-soci
電脳戦が羽生にもたらした人工知能への興味 G2レポート・棋士道 羽生善治「将棋の神」に極意を質す(その4)
現代ビジネス 6月11日(木)11時1分配信

 発売中のノンフィクション雑誌『G2(ジーツー)』第19号に掲載後、大きな反響を呼んだ記事「騎士道 羽生善治」。ルポライター・高川武将が6度のロング・インタビューを通じて「羽生善治の本心に迫ろう」とした、文字どおりの「言葉の対局」です。原稿が予定の80枚を大幅に超える160枚に達したこともあり、誌面に載せきれなかった「後半」をおよそ2週間にわたって随時掲載していきます。棋士とルポライターの真剣勝負をご堪能ください(G2編集部)

 ▼羽生善治「将棋の神」に極意を質す(その1)〜(その3)はこちらからご覧ください
 => http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43587
 => http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43595
 => http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43598

 * * *

 (文・高川武将)

強いとは、弱いとは何か?
 本来は全く関係のないもの同士がシンクロする瞬間は、唐突に訪れるものだ。

 その日、私は、都内の閑静な住宅街にある民家の一室でマッサージを受けていた。ちょうどうつになった直後から、知人に紹介され通うようになった江上正威(まさたけ)先生の施術は、全身を解してくれる。その技術は天下一品で、肉体的にも精神的にも癒されるひと時である。

 施術中はいろいろな話をするのだが、その日は、何の拍子か羽生の話になった。羽生は常にギリギリの均衡を保つことを考えている、それは他の棋士とは明らかに違う・・・・・・私がそんな話をしたときだ。

 「あ、そう! それ、うちの稽古と似ているなぁ」

 先生が驚きの声を上げた。先生が「うち」というのは、「親英体道(元は親和体道)」という合気道にも似た武道のことだ。創始者は井上鑑昭(のりあき)という、知る人ぞ知る伝説的な人物である。

 1902年、和歌山県田辺郡(現田辺市)の裕福な家庭に生まれた井上は、幼い頃から柔術を嗜み異才を発揮していたが、13歳の頃から、こんな疑問を抱くようになる。

 「強いとはいかなることか。弱いとはどこからくるのか。そもそも人に、強い、弱いということはあるのか」

 やがて、大本教の出口王仁三郎(おにさぶろう)に邂逅し、武道の在り方の根本に「親和力」を置けばいいことを悟る。19歳の春のことだった。後に大本教に加わる伯父の植芝盛平(もりへい)と共に、合気武術を広く教授し始めた。だが、戦前の公安当局による二度の弾圧を契機に、植芝は大本教を離れ、合気道を創始することになる。その植芝と袂を別った井上は、戦後まもなく、親和体道と改め独自の道を歩むのである。


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