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157名無しさん:2012/12/19(水) 17:41:32
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20121219ddlk19040285000c.html
米長邦雄さん死去:原点は「縁台将棋」 兄弟や大人相手に腕磨く /山梨
毎日新聞 2012年12月19日 地方版

米長邦雄さんの若き日の写真を見つめる兄の泰さん=富士川町で

 18日に69歳で亡くなった日本将棋連盟会長で永世棋聖の米長邦雄さん。富士川町(旧増穂町)で5人きょうだいの四男として生まれた。生家には長兄の泰さん(75)が暮らし、子供向けの将棋教室を開いている。「初対面の人にもものおじせず、社交性に富んだ弟だった。1カ月ほど前に会った時は元気だったのに」。早すぎる死を悼んだ。

 米長さんの原点は「縁台将棋」だった。幼少の時分から、泰さんらと共に近所の人に将棋を教わった。将棋盤を広げては兄弟同士や大人相手に対戦して腕を磨いた。

 米長さんは、棋士としてだけでなくテレビ出演や、本の執筆、競馬評論などでも活躍した。「多芸なのは家系」と泰さん。「邦雄も将棋一筋でなかったから、中原(誠・十六世名人)さんの成績には及ばなかったのかな」

 「将棋一筋でなかったのは、よく言えば人生を豊かにする達人だったということ」と泰さんは振り返る。米長さんは生前は世相に掛けたジョークをよく飛ばしていたといい、「自民党が大勝した衆院選の結果にも何か考えたはず」。

 15日に東京都内の病院で会ったのが弟に会った最後だった。泰さんは米長さんが天国でジョークの続きを飛ばしていると信じている。【屋代尚則】

 ◇各地で惜しむ声
 県内各地で米長さんを知る人々から惜しむ声が相次いだ。

 米長さんのいとこで同級生の深沢清さん(69)=富士川町=は「天才だった。見ていて自分が将棋をやり続けようと思えなかったくらい」と振り返る。小学6年の米長さんに校長、教頭ら先生5〜6人が組んで対戦したが、全く歯が立たなかったという。深沢さんが営む理髪店を訪れたこともあり「同級生の誇り。もっと活躍してほしかった」と悼んだ。

 昨年6月に第69期名人戦があるなど対局の舞台になってきた甲府市湯村2の常盤ホテル。米長さんもたびたび宿泊し、直筆の色紙が残る。総支配人の小沢行広さん(44)は「運営などに関して丁寧にご指導いただいた」と振り返った。

 また、米長さんのおいの米長晴信参院議員(47)=山梨選挙区=は「気さくなおじさんで、子供の頃からかわいがってくれた。2週間ほど前に東京で会った時は元気そうだったが、残念です」と話した。

 米長さんは93年、旧増穂町の名誉町民に選ばれた。志村学・富士川町長は「将棋界にも本町にも大変、大きな存在を失った」とコメント。横内正明知事は「県民の誇りだった。県内小中学生の将棋大会の支援もしてもらった。痛惜の念に堪えない」とした。【屋代尚則、春増翔太】


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