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芸術・美術・音楽
745
:
名無しさん
:2021/03/07(日) 10:52:11
>>744
「公共」の名にふさわしい運営を
まず、文化財ないし歴史的意義や芸術的意義に照らした価値があるかどうかである。
今回の判決は、施設の「文化的・社会的な価値や意義」によっては使用料の免除も適法になり得ると指摘した上で、文化財としての位置づけがない久米至聖廟はそれに当てはまらず、旧施設の宗教性を引き継いでいると述べている。ここから、文化財その他、歴史的・文化的な価値が認められているかどうかが判断の要素として重視されることがわかる。
逆から言えば、発祥としては宗教的信仰から出たものであっても、現在、歴史的・文化的価値が認められているものであれば、相対的にその公共価値が認められやすいと言えるだろう。その価値認定は、裁判所が直接行うわけではなく、その領域の専門家の判断を尊重する姿勢がとられると考えられる。たとえば、湯島聖堂(東京都文京区・前述)は国の史跡に指定されているが、こうしたことが政教分離違反の可能性を後退させ、公的支援を正当化する可能性を高めると考えられる。
ただし、この要素も万能ではない。
例えば、古美術としても文化財としても評価が確立している美術品や施設があったとしても、その展覧のあり方が今回の判決でいう「宗教的意義」に当てはまるものであった場合には、政教分離違反の判断を受けることになるだろう。例えば、文化財や古美術として知られている仏像や仁王像も、一般市民に開かれたものとは言いがたい聖化・秘儀化をともなう礼拝対象としたり、その管理や継承が「公共」の精神とは相いれない血族的特権(とくにその神に仕える血族といった理由に基づく継承であればなおさらである)となっていたりすれば、政教分離違反の判断を免れなくなるだろう。
ただ、孔子廟を公的支援することそのものが違憲と判断されたわけではないので、那覇市の孔子廟も、その運営方法を変えて出直すことにすれば、あらためて公有地の無償使用を受けることはできるはずで、そこは面倒でも萎縮せずに存続を検討してほしいところだ。
今回の判決の論理は、靖国神社など公有地に建つ戦争や災害の慰霊施設が宗教性を帯びている場合をどう考えるか、という問題についても、これまでより一歩踏み込んだ議論を可能にする芽を持っている。これは本来ならもっとずっと以前に、どこかで通らなければならない道だった。
反対意見が懸念する萎縮は、文化行政関係者にとってはたしかに大きな問題となってくる。しかし、この判決が投げかけた《学び》の必要を、萎縮という形で受け止めてしまえば、「あいちトリエンナーレ2019」に端を発した各地の公的芸術支援の萎縮の二の舞になってしまう。
この判決を、公的文化支援にたずさわる者が持つべき知識として受け止め、「なぜそんな憲法原則があるのか」を理解しよう、この基本ルールを使いこなそうという気構えを持つことで、萎縮を乗り越えることが求められている。文化芸術の領域の人々と憲法研究者が知恵を出し合う場面が、またひとつ増えた。
文=志田陽子(武蔵野美術大学教授)
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