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芸術・美術・音楽
743
:
名無しさん
:2021/03/07(日) 10:51:42
>>742
「特定の宗教を援助」
今回の最高裁判決は、おおむねその下級審判決である那覇地裁判決(2018年)を支持する内容となっている。地裁では、上記の空知太神社訴訟判決を踏まえ、今回の訴訟で問題となった「久米至聖廟」を違憲と判断した。孔子の霊を迎えるため供物を並べたり、祭礼日だけ門扉の中央を開いたりする宗教的儀式を行っている点や、会の正会員を特定の血統子孫に限っている点で閉鎖性があると指摘し、「儒教が宗教に当たるかにかかわらず宗教的性格の色濃い施設だ」として、使用料免除は憲法が禁じる「宗教的活動」にあたるとした。
その控訴審の福岡高裁判決(2019年)は、合憲か違憲かについては基本的に同じ判断をしつつ、土地の使用料については市に任せられた裁量だとして、額について言及しなかった。これに対して、違憲な行為であれば市が団体に金銭的便宜を与えるのはおかしい、全額を徴収すべきだ、との姿勢で原告が最高裁に上告したため、今回の最高裁判決となった。
つまり、市の行為が政教分離に反しているという点では、地裁・高裁・最高裁のすべての判決で一貫しており、判断が分かれたのは、市が一般社団法人から徴収すべき土地使用料についてだった。この点について最高裁は「市に裁量はない」として、全額を徴収すべきだとした。高裁よりも、原告の主張に沿って、市側に対し厳しい判決が出たことになる。
この判決で最高裁は、建物などの配置や参拝の状況から、社寺との類似性を認めた。孔子の霊を迎える年に一度の祭礼も、宗教的な意義を持っており、そのための施設には宗教性が認められるとした。土地使用料免除額(年570万円超)については、「施設側が受ける利益は相当に大きく、社会通念に照らしても許容できる限度を超えている」と判断した。そのさい、無償提供されてきた土地の広さも問題視している。
前述の「空知太神社訴訟」の最高裁判決で示された「総合的判断」にのっとった判断と言えるが、「社会通念」「総合的」という言葉を「まあいいじゃないか」と丸める方向で使うのではなく、総合すべき複数の要素それぞれに具体的に踏み込んでいる。そして儒教が宗教かどうかを判断することはしないまま、「祭礼の観光化」を嫌っての閉鎖性や、免除額の大きさをもとに、市が使用料を免除したのは「宗教的活動」に当たると判断したわけである。
依拠した基準は同じでも、この分野のこれまでの判決に比べ、厳格で踏み込んだ判断となっている点は、憲法的観点から見て望ましい方向である。しかし、文化芸術関係者にとっては、悩ましい内容でもあるだろう。
この裁判では市側が「施設は渡来中国人の歴史や文化を伝え、観光資源としての役割を果たしている。特定の宗教の優遇にはならない」と反論していた。今回の判決は、こうした歴史的な価値や観光資源としての役割を考慮しても、市と宗教との関わり合いが限度を超えていると結論づけた。しかも、宗教法人として認定を受けているような明確な「宗教」でないものでも、実態に照らして「宗教的な意義」があるとされれば違憲違法となる可能性がでてきたわけだが、ここが多くの自治体の文化政策・行政関係者にとって、心穏やかでいられない部分ではないだろうか。
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