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芸術・美術・音楽

1とはずがたり:2008/03/17(月) 16:29:22
アート全般

37とはずがたり:2009/12/03(木) 15:33:31
そんな好きな画風でも実はなかったんですけど,独特の味わいはあった様な気はします。まあ美術に関してはゴミみたいな俺が画伯の絵を批評しても詮無き事なんですけど。。
失礼ながら未だご存命でいらしたんですねぇ。謹んでご冥福をお祈りします。

日本画の第一人者、平山郁夫氏死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091202-00000672-yom-soci
12月2日13時59分配信 読売新聞

 シルクロードを描き続けた日本画家で、国際的な文化財保護に尽力した文化勲章受章者、平山郁夫(ひらやま・いくお)氏が2日午後0時38分、脳こうそくのため都内の病院で亡くなった。79歳。

 自宅は神奈川県鎌倉市二階堂120の14。

 広島県の生口島に生まれた。広島市内の中学に在学中、勤労動員先で原爆に遭った。1947年、東京美術学校(現東京芸大)日本画科予科に入学。卒業時に日本画科の副手に選ばれ、前田青邨(せいそん)に師事した。

 53年、院展初入選。原爆の後遺症の中で、仏典をインドから持ち帰った唐僧・玄奘を描いた59年の「仏教伝来」で注目された。さらに61年の「入涅槃(ねはん)幻想」などで釈迦への敬慕の念を表現する一方で、シルクロードを舞台にした「仏伝シリーズ」で評価を高めた。

 70年代のシルクロードブームもあって、平和への祈りを叙情的に描き出した一連の作品は幅広い人気を獲得。2000年末には「仏伝シリーズ」の集大成として、奈良・薬師寺玄奘三蔵院に「大唐西域壁画」を描き上げた。

 制作のため砂漠や高地を旅する中で、人類の遺産である文化財を守ることが平和につながるとの信念を深め、アフガニスタンのバーミヤン遺跡などの保護運動に取り組んだ。「国際文化財赤十字運動」を提唱し、88年にユネスコ親善大使に任命されたほか、国際会議や学術調査に奔走した。

 96年に仏レジオン・ドヌール勲章、98年に文化勲章、01年にマグサイサイ賞。母校の東京芸大学長を2度務めたほか、日本美術院理事長、日中友好協会会長など画壇内外の要職を務め、政財官界に幅広い人脈があった。2008年に北京とパリで個展を開いたが、その前後から体調を崩し、名誉職などを退任していた。

最終更新:12月2日13時59分

日本画家・平山郁夫さん死去で、中日友好協会が弔電
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091203-00000031-scn-cn
12月3日13時18分配信 サーチナ

 人民日報など中国メディアによると、中国の対日交流窓口のひとつ、中日友好協会は、画家の平山郁夫さんが2日に死去したことで、弔電を送った。

 中国メディアは平山さんの経歴や功績、同氏を偲(しの)び、死を悼む中国人画家などによる談話を紹介した。

 中国メディアは、平山さんが15歳の時に広島で原子爆弾に被爆したことに触れて、画家として日本を代表する存在になっただけでなく、平和の使者としての役割を果たしたと伝えた。

 日中関係への貢献では、シルクロード地域に70回以上も足を運び、敦煌文化の研究をしたことを評価。関連作品の発表も多く「日本人のシルクロードに対する関心を高めた」と紹介するメディアもある。

 平山郁夫さんは世界平和アピール七人委員会委員、日中友好協会会長、日韓友情年日本側実行委員長などとして、平和と国際交流の推進に尽力した。(編集担当:如月隼人)

最終更新:12月3日13時18分

日本画家・平山郁夫さん死去 世界の文化遺産保存に尽力
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091202-00000001-fsi-bus_all
12月3日8時15分配信 フジサンケイ ビジネスアイ
 シルクロードや仏教を主題とした雄大な作品で知られ、世界の文化財保護にも尽力した日本画家で文化勲章受章者、前東京芸大学長の平山郁夫(ひらやま・いくお)さんが2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。79歳。広島県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 15歳の時、広島で被爆。東京美術学校(現東京芸大)に入学、前田青邨らの指導を受けた。1953年「家路」で院展初入選。

38とはずがたり:2009/12/03(木) 15:33:58
>>37-38
 59年、被爆の後遺症に苦しむ中で完成させた「仏教伝来」が転機に。「入涅槃(ねはん)幻想」など仏教をめぐる連作の礎になった。66年、東京芸大の遺跡調査団でトルコを訪問。以来、毎年のようにシルクロードを取材し、悠久の歴史を思わせる独自の風景や遺跡を描いた。

 法隆寺や高松塚古墳の壁画など、内外の文化財の保存修復に参加。国連教育科学文化機関(ユネスコ)親善大使として敦煌や高句麗壁画、バーミヤンの遺跡といった文化遺産の保存に尽力した。

 文化外交に力を注ぎ、平和と人間性を取り戻そうと訴える「文化財赤十字」を提唱。92年から日中友好協会会長。98年文化勲章受章。96年から日本美術院理事長。東京芸大学長を2度務めた。

 海外からの評価も高く、96年にフランスからレジオン・ドヌール勲章を、2001年にフィリピンのマグサイサイ賞などを受けた。
                   ◇ 
 ■平山郁夫さんの主な作品
家路(1953年、院展入選)
仏教伝来(59年、院展入選)
入涅槃幻想(61年、院展日本美術院賞)
受胎霊夢(62年、院展日本美術院賞)
建立金剛心図(63年、院展奨励賞)
仏説長阿含経巻五(64年、院展文部大臣賞)
画禅院青邨先生還浄図(78年、院展内閣総理大臣賞)
広島生変図(79年)
大唐西域壁画(2000年、薬師寺)
文明の十字路を往く−アナトリア高原 カッパドキア トルコ−(09年)

最終更新:12月3日12時47分

平山郁夫さん死去 平和への祈り貫いて 被爆体験が根底に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091203-00000032-san-soci
12月3日7時56分配信 産経新聞

「旅先でのスケッチが一番楽しい」と話した平山さん=平成5年9月、ウズベキスタン・サマルカンド(渋沢和彦撮影)(写真:産経新聞)

 日本画の巨星、平山郁夫さん(79)が逝った。シルクロードや仏教を主題にした画家として知られるが、紛争で危機にさらされる文化財の保護に尽力する、もうひとつの顔も持っていた。「私の一番の目標は平和への祈りです。創作と行動を通じて、この目標を生涯かけて実行しようと考えています」。その根底にあったのは、少年時代の被爆体験だった。

 昭和20年、中学3年のとき、広島市で勤労動員の作業中に被爆した。奇跡的に助かったが、地獄絵のような広島市内をさまよって生家へたどりついた。「原爆に被爆したとき1秒、2秒の差で助かりました。そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」

 その後しばらく、放射能障害による白血球の減少や高熱などの症状で悩まされ続けたが、東京五輪開催決定に関する新聞記事が大きな転機をもたらした。聖火がシルクロードを通って東京に届く行程を想像するうち、唐代の僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)のイメージが浮かび、「仏教伝来」を34年の院展に出品、評価を得た。

 41年、東京芸大第1次中世オリエント遺跡学術調査でトルコに滞在したことがきっかけとなり、シルクロードへの旅が始まった。以後、アフガニスタン、インド、中央アジアなど取材旅行を重ねた。シルクロード各地への旅は100回を超えた。玄奘三蔵が旅した道を踏みしめながら、ロマンチックな作品を次々と発表し、「シルクロードの画家」として名を高めた。

 「遺跡や美術品は人類共通の遺産。われわれの手で後世に残さなければならない」と、文化財保護活動にも軸足を移していった。世界の文化財保護活動を行う“文化財赤十字構想”を提唱。カンボジアのアンコールワット遺跡、中国・敦煌(とんこう)遺跡の保護や、世界各地の美術館が所有する日本古美術修復の支援に奔走した。

 平山さんはアフガニスタン中部のバーミヤンを数回訪れ、石窟の大仏を描いている。平成13年3月、2体の大仏がタリバンによって破壊されると、「どうしてそんなことに…」と抗議声明を出し、即座に修復のための募金活動を開始した。

 近年は入退院を繰り返していたが、来年8月からトルコで開催予定の個展に向け、最後まで絵筆を手放さなかったという。旅行にはいつも夫人を伴い、おしどり夫婦としても知られた。

最終更新:12月3日8時44分


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