マウリッツ・ファン・ナッサウ(オラニエ公マウリッツ、Maurits van Nassau-Siegen, Prins van Oranje, 1567年11月13日 - 1625年4月23日)は、オランダ総督。オラニエ公ヴィレム1世の次男で、父の死後、スペインとの八十年戦争において中心的な役割を果たした。
死に臨んで、「2プラス2は4である。」ということを自己の信条にしたほどの合理主義者であったとされる。また、自らの軍隊に徹底した訓練を行うとともに、そのマニュアル化を行った。これがヨーロッパ各国の軍隊に多大な影響を与えたことから、「軍事革命」とも評価される。