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スポーツ総合スレッド
730
:
名無しさん
:2010/02/14(日) 07:22:44
私にとってバンクーバーはアメリカ横断ウルトラクイズですね。バンクーバーもですが、バンクーバーの次のチェックポイントのジャスパー、カナディアンロッキーの真ん中でカキ氷を食べる罰ゲームが忘れられません。
ということでいやがうえにも盛り上がる。当たらない吉田学校予想では上村愛子は4位ですが、ぜひ私の予想を裏切ってほしい。前回トリノは母のお手製メダルを手にしましたが、公式メダルをぜひ。
<冬の軌跡>モーグルの出発点 上村、運命の地でレース
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002130351.html
娘の第二の故郷――。上村愛子選手(30)の母圭子さん(58)はバンクーバーをこう呼ぶ。モーグルに出会う出発点となった地だからだ。18歳の時、地元・長野で初めて五輪に挑み、世界女王となった30歳でバンクーバー五輪を迎える。運命に導かれたような舞台設定のレースが始まる。
上村選手が初めてバンクーバーを訪れたのは1993年末。中学2年の冬だった。小学校時代から続いたいじめに耐えかね、スキー部をやめていた。
「自分の好きなことに、もう一度目覚めてほしい。得意なことがあれば、生きることにも自信が持てる」。海外への一人旅に娘を送り出した時の心境を、圭子さんは思い返す。
「小さな体に大きなスーツケース。よく本当に一人で来たなあと思った」
バンクーバー国際空港に降り立った上村選手を出迎えた時の様子を、今はバンクーバー近郊に住む写真家、千安(ちやす)英彦さん(48)は覚えている。
千安さんは、上村選手の実家がある長野県白馬村のペンションで以前働いていたことがあり、そのつてで世話を頼まれた。「いじめのことは聞いていたけど、頑張って強がる子だった」。日本で感じていた、つらさや寂しさを漏らすことはなかった。
千安さんはそのころ、北米有数のスキーリゾートで、今大会の一部競技の会場にもなっているウィスラーに住んでいた。上村選手は毎日、バスでスキー場に通い、朝から晩まで滑り続けた。
ある日、お気に入りのスキー板が盗まれた。これが運命を変えるきっかけになった。
「これ、履いてみてごらん」。千安さんが勧めたのがモーグル用の板だった。
千安さんは、98年の長野冬季五輪に向けた強化プロジェクトにかかわっており、特に女子選手を探していた。「愛子は怖がらずにスピードを楽しめていた。雪上で体のポジションをコントロールする感覚が抜群だった」
当時、現地ではモーグルのW杯が開かれ、千安さんの家にもカナダチームのメンバーが訪れていた。上村選手はパーティーに参加し、一緒にモーグルの映像に見入った。
2週間ほどで白馬に帰った上村選手は圭子さんに告げた。「私、モーグルやる」
□ □
長野五輪では7位入賞。スキー界のアイドルとなった。2002年ソルトレーク五輪6位、06年トリノ五輪5位。メダルには届かなかったが、少しずつ前に進んできた。
03年夏。10年冬季五輪の開催都市がバンクーバーに決まった。上村選手は千安さんに言ったという。「バンクーバーでやるのが運命なんだね」。まだトリノ五輪も終わっていないのに、すでに10年を意識していた。
「初めて一人で行った海外でモーグルに出会った。ここにつながるいろんな縁があった」。2月、4度目の五輪に向けてバンクーバーに降り立った。
12日、試合会場のサイプレスマウンテンで最後の練習を締めくくった。「不安はないです。スタートする瞬間に落ち着いていれば、何も問題ないかな」と話した。
母へのメッセージは?
「お母さんには、自分は絶対に大丈夫だよ、と伝えてあります」
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