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スポーツ総合スレッド

693小説吉田学校読者:2010/01/08(金) 22:33:51
栄光の陰に挫折がある。笑顔の裏に涙がある。
私も吹奏楽をやっていて、部活はそれは厳しかったのですが、大学に入ってから、コンクール一辺倒の考えから脱却することができました。

翔 6)サッカー少女、新しい自分へ
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001001080001

 高校2年の春だった。男子サッカー部との練習試合で、男子が蹴った力強いボールを受け止めた瞬間、左足首に痛みが走った。「ねんざかな」。悪い予感はしたが、練習を続けた。
 「周りはみんなライバル。監督にもチームメートにも弱みを見せられなかった」
 検査をすると、診断は「腱に異常あり」。小野寺裕美(18)は、17歳にして「生きがい」を失った。
 サッカーと出会ったのは、小学校3年生のとき。兄の影響だった。5年生から地元・紫波町のスポーツ少年団に入った。
 中学校でも、迷わず男子ばかりのサッカー部の入部を志願。部活動のあとは、盛岡市内の女子クラブチームの練習に夜9時まで参加した。
 周囲の目は冷たかった。小学校の同級生からは「お前は男だ」とからかわれ、中学校では、先輩から嫌がらせや冷ややかな言葉が続いた。
 そんな「いじめ」も、サッカーがあれば耐えられた。「絶対に負けたくない、と思って」。髪は短く切り、練習に没頭した。
 「周りを認めさせるには、自分が変わるしかない。努力していれば、純粋にサッカーが好きなんだってことが伝わるかな、と」
 気がつくと、心ない言葉は応援の声に変わっていた。
 スポーツ推薦で、女子サッカー部のある仙台市の高校へ進学。寮生活が始まった。1年生でレギュラーに定着した。
 活躍すれば、家族や友人からの期待は高まる。「私ががんばらなくちゃ」。そう思った矢先のけがだった。
 ふと立ち止まると、自分が好きでやってきたはずのサッカーが、「誰かのためのサッカー」になっていたことに気づいた。「まるで、ロボットみたいだった」
 プレーできない自分へのいら立ちと、「私が本当にやりたかったことって何だったんだろう」という迷い。答えが出ない苦しみの中にいたが、「心配をかけたくない」と、誰にも相談できなかった。
 部屋にこもり、頭の中に渦巻くものを、日記に書きつづった。大学ノートに、1日3ページも「思い」を綴ったこともある。泣きたいときは、決まってベッドの上か、夜の公園にいた。両親や友達の前では、普段通りに振る舞った。
 一人でもがき続け、半年がたとうとしていた。長いトンネルの向こうに見えてきた答えは、「何かにチャレンジすることで、今を乗りこえたい」。サッカーをするために入った高校から、岩手に戻って「転校」することを決めた。
 自分のペースで大学を目指せるところはないか。探した末に、高校3年の春、第一高等学院盛岡校に入った。
 新しい高校では、フットサルを楽しみ、飲食店でアルバイトも始めた。県内の情報誌のモデルにも選ばれた。「初めて化粧をして、びっくりした。自分がこんなに変わるんだって」。忙しい日々に、「新しい自分に会えるから」と目を輝かせる。
 将来は、保育士や幼稚園教諭を目指す。「人格の基礎をつくる幼少期の教育に携わりたい。それで、休日は子どもたちにサッカーを教えられたらなって」
 この春、埼玉の大学に進学する。サッカー一色の世界から、普通の女子大生へ。


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