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スポーツ総合スレッド

622チバQ:2009/10/05(月) 22:52:28
http://sankei.jp.msn.com/sports/other/091003/oth0910032350110-n1.htm
【五輪遠く】(上)すべて後手…外交力の限界を露呈 (1/3ページ)
2009.10.3 23:48

 落選後の石原慎太郎都知事の言葉は、日本のスポーツ外交に突きつけられた皮肉とも受け取れた。

 「誰に聞いても東京のプレゼンテーションは圧倒的に良かったと言う。だけど結果はリオに決まった。そういう(IOCの)力学をもっと勉強しなければならない」

 確かに、招致演説や開催計画がどんなによくても、IOC委員106人に対するロビー活動を展開しなければ、票には結びつかない。リオデジャネイロの招致委会長のヌズマン氏はIOC委員でもあり、その肩書きを生かした人脈をフル活用したのとは対照的だった。

 かつての日本にはIOCに顔の利く人物がいた。JOC元会長の堤義明氏。サマランチ前IOC会長との親交は有名で、98年長野冬季五輪招致では、スイス・ローザンヌに五輪博物館を建設したいサマランチ氏の意向に沿い、日本からの寄付のとりまとめを約束したともいわれる。「ピンポン外交」に尽くした国際卓球連盟の故・荻村伊智朗元会長も国際スポーツ人脈に長けた1人だった。

 「自分がIJF(国際柔道連盟)理事なら、1年の3分の1が海外。もっと幅広い活動ができたのに…」。こう肩を落としたのは柔道金メダリストの山下泰裕氏だった。2年前のIJF理事選に完敗。「柔道の母国」といえども発言力は衰えている。日本スポーツ界のこうした状況が、「情報戦」において後手に回る遠因ともなった。

 最後までマイナス要因としてつきまとった開催支持率の低さも、その一例で、招致委はIOCが実施した支持率調査の時期を読み違えていた。ある招致委関係者は「3月ごろだと予想していた」と話し、招致本部幹部は「招致委は4月以降と予測していたはずだ」という。一方で過去の例から現地調査の2カ月ほど前の2月に行われるとの予測もあった。実際には2月に実施されたが、「この読み間違いがなければ、支持率はもっと上げられていた」。後の祭りとなった。

 さらに東京の戦略のミスも重なる。招致委から招致大使に任命された山下氏の述懐だ。「海外でIOC委員に会った際、『私と会ったことは、あなたのスケジュール帳から削除してくれ』と言われた。後と気づいたが、招致大使になったがためにIOCの招致ルールに抵触しかねず、個人的な動きが制約されてしまった」

 9月に入り、中南米を訪問したJOCの福田富昭副会長は、帰国後、表情をゆがめて「どこへ行ってもリオが先取りしている。厳しい戦いだ」と漏らした。前回敗退の経験を踏まえ、「南米初」という大義を掲げて精力的にロビー活動を展開したリオ。ルラ大統領は「ブラジルは国内総生産(GDP)世界10位の経済国。五輪を開催する準備は出来ている」と訴えた。昨年の北京、14年のソチ(ロシア)に続きブラジルが五輪開催権を手にした。「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国)と言われる新興国の台頭に比べ、日本の存在感は低下していると言わざるをえない。

     ◇

 2日(日本時間3日未明)開かれたIOC総会で2016年夏季五輪の開催地は「南米での初開催」を掲げるリオデジャネイロに決まった。東京は2回目の投票で敗れ、1964年五輪以来、2度目の開催は実現しなかった。これで日本は名古屋、大阪、東京と大都市で3連敗。「スポーツの外交力」の限界を露呈した形で、五輪開催は遠のくばかりだ。招致から見えた日本の敗因と課題を探る。


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