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スポーツ総合スレッド
343
:
小説吉田学校読者
:2008/04/30(水) 06:59:24
おそらく、君が代が北京に流れる最初の競技は女子柔道か男子柔道ですが、当たらない吉田学校予想ですとおそらくブーイングの嵐でしょう。
それはともかく、TV中継は実況と解説が「逃げまくりですよ」とか言っていて酷評だったので、白けました。
石井「まじかよっ」大泣き逆転北京切符
http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2008/04/30/01.html
重量級の若きエース石井慧(21=国士舘大)が初の五輪出場を決めた。柔道の北京五輪男子100キロ超級代表の最終選考会を兼ねた全日本選手権は29日、38選手が出場して東京・日本武道館で行われ、準決勝で代表争いのライバル棟田康幸(27=警視庁)、決勝で前年優勝の100キロ級代表・鈴木桂治(27=平成管財)を連破し、2年ぶり2度目の優勝を飾った。左大でん筋断裂で4月の代表選考会、全日本選抜体重別を欠場しながら大逆転で代表選出。北京五輪まであと100日、新たなスター候補が誕生した。
執念で勝ち取った。絶望の淵を見た男が、自力で北京行きを決めた。決勝戦の後、最後に腰が引けた姿勢を見せたことへの悔いと、結果を残せた安ど感に顔をグシャグシャにして号泣した石井は約1時間後、選考委員会の結果をドーピング室で鈴木から伝え聞いた。「まじかよって思いました」。最後のチャンスでつかんだ、大逆転での代表入りだった。
準決勝では初対戦の棟田に対し、先にポイントを稼いで逃げ切った。決勝では3年連続で鈴木と対戦。準決勝までの守り重視の戦いから一転、いきなり前へ出た。開始38秒、左足で鈴木の右足を刈った。大内刈りで有効。「大外刈りと見せて、同じように大内に入る。最初に一発勝負だと思っていた」。さらに倒れたところを崩れ上四方固めで抑え込み。残り2秒で返され、一本には至らなかったものの技あり。前日、「ずるい柔道と言われてもいい。ヒール役でいい」と語っていた通り最後は徹底的に守り、警告を受けながらも執念で勝利にしがみついた。
練習の虫がドン底に突き落とされたのは3月25日。練習中に左でん部を筋断裂。全治3週間の重傷で、4月6日のもう1つの選考会・全日本体重別選手権は直前に欠場を強いられた。五輪が遠のいたショックで「気づいたら学校の屋上のフェンスの上に乗っていた」。飛び降りたくなるほど追いつめられ、「もう死ぬか生きるかの努力をするしかない」と思った。しかし、体調は「60〜70%」(斉藤仁・日本男子監督)が精いっぱい。練習で追い込みたくても追い込めない苦しい日々が続いた。国士舘大の山内直人監督は「練習でしか自信をつくれない男が練習できないのは苦しかったはず。大外刈りと大内刈りしかできなかった。あそこまで来られたのは執念です」と称えた。
昨年9月、五輪1年前にもかかわらず100キロ級から100キロ超級に転向したのは「一番強いところでやりたい」からだった。五輪出場へ実績を作るために厳しい日程を強いられたが、嘉納杯、オーストリア国際、カザフスタン国際に優勝。そして今大会で4連勝。負けなしで五輪を迎える。
「北京では自分の柔道を見せたい。目標は優勝して帰ってくることです」。日本の最重量級五輪代表では史上最年少。井上康生が畳を去ったニッポン柔道は、石井が主役を担う新しい時代に突入した。
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