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スポーツ総合スレッド

2711チバQ:2021/03/20(土) 01:31:17
■五輪開催の是非に関連づける強引さ

 3つ目の違和感として挙げておきたいのは、佐々木氏への批判から「オリンピック開催なんてけしからん」「中止すべき」という流れにつなげようとする強引なムード。「もうオリンピックなんてやめろ」という声を上げる人も、「呪われた五輪」「また女性差別か」などと報じるメディアも短絡的かつ示唆的なものを感じてしまうのです。

 佐々木氏の発言と、開催の是非はまったく別の話であり、もっと真剣に議論を進めるべきことは多々あるはず。しかも今回のグループLINEは、1年以上前の昨年3月5日に送信されたものでした。告発者が本当に「問題アリ」と思ったのなら1年前に言うこともできたはずですし、「クローズドな場の発言」「すぐ撤回した」からスルーしたのではないでしょうか。

 もともと「過去の話を持ち出してわざわざ問題視する」のは、政治家から芸能人まで、権力者や成功者を引きずり下ろしたいとき、あるいは、組織にダメージを与えたいときの常套手段。やはり、「森喜朗氏の騒動に便乗した個人的な恨み辛みか」、それとも「オリンピック開催を阻もうとする人々によるものなのか」という疑念を抱いてしまう人がいるのは当然なのです。

また、森喜朗氏の騒動時から、「オリンピック絡みだからこの発言はNG」「それが世界のスタンダードで日本は遅れている」という声が、もはや当たり前のように飛び交っていますが、今回の件は該当しづらいところがあります。

 「オリンピックではNG」で「バラエティならOK」というダブルスタンダードが本当に正しいのか。それは本当に世界のスタンダードであり、合わせていくことが本当に進んでいるのか。これらの違和感を抱く人々が声を上げづらい世の中になってしまっているのです。

 さらに違和感を抱かせているのは、佐々木氏の発言が公式の会議でもコメントでもないうえに、「アイデアを出し、よくないものを削ぎ落していく」という初期段階だったこと。佐々木氏のケースはさておき、クリエイティブ系の現場では、新たなものを生み出すために、間違いや批判を恐れずに発言することが推奨されているのです。

 これは間違いや批判を恐れていたら、どこかで見たことがあるような無難なものばかりになってしまうから。佐々木氏以外のメンバーも間違った提案をしていた可能性はありますし、「この段階だから許し合いましょう」という了解のうえに成立している場なのです。

 はたして、アイデアを出し合ったグループLINEでの発言を猛批判し、個人を辞任に追い込むことが世界のスタンダードなのでしょうか。もしそんな窮屈なスタンダードだとしたら、日本は本当に追随すべきなのか疑わしいのです。

■超不寛容社会への進行が止まらない

 最後にふれておきたいのは、「超不寛容社会への進行が止まらない」という厳しい現実。

 すぐに撤回し、謝罪、反省しても許されない。それが過去のことであったとしても許されない。そんな超不寛容社会が進むほど、失われるのはクリエイティビティーだけではありません。「失言を恐れて同僚と軽口すら叩けない」「友人ですら警戒して気楽に話せない」など、人間のコミュニケーション自体が減っていくでしょう。

 そうなってしまうと、距離感が縮まらず孤独感を覚えやすくなるとともに、小さな失言がより気になるようになり、互いをますます攻撃し合うようになっていきます。個人の軽率なミスを寄ってたかって責める社会でいいのか。撤回、謝罪、反省を受け入れない社会でいいのか。そろそろ本気で考えなければいけない時期に来ているような気がしてならないのです。

木村 隆志 :コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者


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