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スポーツ総合スレッド
2624
:
名無しさん
:2021/02/14(日) 14:03:50
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d77e79c6cd567a0db8ba0bd6d80a9c50808cac5
なぜ武藤事務総長は森辞任会見を設定せず後任人事の政府介入を否定したのか…辞退の川淵氏が最も透明だった皮肉と矛盾
2/14(日) 6:16配信
THE PAGE
東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長人事を巡る「矛盾」が浮き彫りになった。女性蔑視発言後も続投の意思を示していた森喜朗会長(83)が国内外の世論に耐えきれなくなり12日に開催された理事会と評議員会の合同懇談会で辞任を表明、後任候補の最有力とされていた元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏(84)は、その場で候補を辞退した。
一連の騒動でキーワードとなったのはプロセスの「透明性」である。だが、最も「透明」だったのは、後任会長候補に祭りあげられ「喋り過ぎた」との非難を浴び、“ハシゴ”を外された川淵氏だった。それは皮肉であり、現在、会長人事に関して「透明性」を訴えている人たちが、実は「不透明」だとの矛盾がある。
たった1日のうちに起こった森辞任、後任川淵、一転、白紙撤回、辞退の“ドタバタ騒動”の裏には“政府介入”があったとされる。だが、懇談会後の会見で、武藤敏郎事務総長は「私の理解では、私自身に、そういう働きかけがあったわけではありません。私の理解では、後任会長は、組織委員会で決めるべきというのが政府の基本的態度だった」と否定した。
だが、正確に言葉を読み解くと「私自身に」であり、組織委員会への間接的な働きかけを否定したわけではない。また“不介入”は「政府の基本的態度」であり「絶対的態度」ではなかったとも取れる。武藤事務総長は、元日銀の副総裁で、元大蔵官僚。その言質は巧みである。
なぜ川淵氏の名前が出て辞退するに至ったかの説明もまったく要領を得なかった。会見での武藤事務総長のコメントは「多少の誤解といいますか、行き違いはあったのかもしれないが、そういうこと(4者による合意)ではない。ですから、自然のなりゆきとして、どうして、そういう結論になったかが不透明でありますので、事態が…このような結果になったのではないかと理解しております」である。
日本語として整理のしようがない。
つまり「不透明」だ。
森辞任、後任川淵のニュースが駆け巡ったのが11日。複数のメディアの報道によると、その夜に自宅前で取材に応じた川淵氏は、森氏から“後継指名”を受けた「密室人事」の中身を明かした。その会談の席で、森氏から、小池百合子都知事、菅義偉首相、安倍晋三前首相、武藤敏郎事務総長との根回しが終わっていることを聞かされ、菅首相が「女性か、若い人」を希望していたという話まで赤裸々に語っている。「最初から外堀が埋まっていて断れる状況でなかった」とも話した。だが、外堀の一人であるはずの武藤事務総長は、川淵氏が会長候補に挙がっていることを「メディアの方から聞いた。しかも、川淵さんの映像が映っていて、おっしゃっていることが確認できる形だった」と説明した。
また前出の4者における“合意”についても「関係者の了解があったのではないか、という点については、私は、そのように了解しておりません」と否定した。この武藤事務総長の話が事実であれば、森氏が川淵氏に嘘を伝えたことになる。
この真偽も「不透明」だ。
川淵氏は会長就任した場合の最大のミッションである東京五輪の中止を回避するための私案まで披露した。そして、さらに問題になったのが「僕個人の相談役を森さんにお願いしたい」と「森院政」とも取れる発言をしたことである。今後、財政面、資金面での力技が必要になったとき、川淵氏一人では対処できないため、素直に政治力と人脈のある森氏の協力が不可欠になるとの実情を語ったに過ぎないが「密室人事」「森院政」をオープンにしたことで政府の反発を食らった。
事態が動いたのは、この後である。
川淵氏は、武藤事務総長と、2、3度、電話で話をしたことを明かし、その話のニュアンスから人事が潰れたことを理解し、辞退を決意したという。武藤事務総長は「手続きをご存じだとは思うが、念のために“こういうこと”と申し上げる必要があると思った」と電話をした理由を説明している。
前出したように、そこに政府介入があったことは否定したが、2、3度、電話をする間に、武藤事務総長は、どこの誰と、どんな相談をしていたのだろうか。
複数のメディアに川淵氏は「今、話せることはない、と言って家に入れば良かった。すべて私が悪い、私の責任」と、辞退後に語っているが、もし、この“フライング発言”がなければ、これらの水面下の動きは”封印”されたまま公益財団法人の正式な手続きを経て「川淵新会長」が誕生していたのだろう。
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