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スポーツ総合スレッド

2272とはずがたり:2018/03/16(金) 13:02:32

帰国後、千春は地元・八戸で高校教員となったが、馨はある一大決心をした。

ここが、今回の「パワハラ問題」の源流であると指摘する関係者の声は多い。

男子レスリングの衝撃
伊調馨は大学卒業後も母校・中京女子大で練習を積み、北京オリンピックに挑んだが、カナダから帰国後、練習拠点を変更。東京で一人暮らしを始める。

カナダでの経験から「好きで始めたレスリングなんだから、楽しまないともったいない。いつかはカナダで見たようなレスリングをしたい」と思いつつも、再び厳しい勝負の世界に戻ることを決めた伊調。名門・代々木クラブ/安倍学院、自衛隊体育学校、早稲田大学など、東京の各所で出稽古に勤しんだ。

すると、1988年ソウルオリンピック金メダリストであり、当時の男子強化委員長だった佐藤満から馨の兄・寿行に「馨が東京で出稽古しているなら、こっちの合宿に連れて来いよ」と声がかかった。

佐藤がアメリカ留学を経て、専修大学ヘッドコーチに就任したとき、キャプテンを務めていたのが寿行という間柄だった。

兄に連れられ、男子の代表合宿に参加した伊調馨は衝撃を受けたという。

「チビッコの頃から20年以上やってきたのに、レスリングの真髄を全く知らずにいました。それなのにオリンピックチャンピオンだなんて、もう恥ずかしくて」

男子のコーチや選手たちと接する機会が多くなった伊調の目の前に、新しい世界が広がった。レスリングの奥深さを知ることができたのだ。

「それまでは体が動くまま、本能だけでレスリングをやっていました。考えてレスリングをやったことなんてありません。でも、男子の合宿で私が生まれて初めて接したレスリングは全く違っていました。例えば、タックルひとつとってみても、なぜいま入ったのか、相手をどう崩して、どこにスペースをつくって入るのかとか、すべて言葉で、理論的に説明できるんです」

その日から伊調は、「説明のできるレスリングを目指し、“勝利”よりも“技術”を追求する」ようになると同時に、再びレスリングが「楽しくなった」と語る。

「日々、自分を改良していくのはとっても楽しいです。もっともっとレスリングが知りたくて、日々葛藤しています。でも、やればやるほどわからなくなる。それでも、諦めたら終了です」

当時の伊調は、こんなことも漏らしている。

「たとえコーチの話でも、自分にとって必要かどうか判断して、必要でなければ聞き流したりもします。私はたぶん、コーチ陣からしたら扱いやすい選手ではないと思います。何でも自分で決めてしまうので。だから、『こいつは素直じゃないな』と思われるときもあるでしょうが、素直に聞くこともあります。ポイントは自分を納得させてくれる何かがあるかどうか」

ただ勝てばいいのではなく、理論的なレスリングへ。競技スタイルを変えた伊調が決意したのが、栄との決別だった。

高校から北京オリンピックまで指導を受けた栄の元を去り、新たな師として選んだのが田南部力だ。

田南部はアテネオリンピック・フリースタイル55キロ級で銅メダルを獲得。髙い技術力をもつ男子ナショナルチームコーチである。

伊調の出稽古は田南部が所属する警視庁レスリングクラブが中心となった。

「レスリングがもっとうまくなりたくて、もっと知りたくて、日々葛藤する」という伊調は、いつしか「レスリングを極めんとする孤高の求道者」「異次元の強さを追求する絶対女王」と呼ばれるようになっていった。

「協会は栄さんを守るでしょう」
2012年ロンドンオリンピックでは全4試合1ピリオドも失わず、圧倒的な強さを見せつけ、日本女子初の3連覇を達成する。現地入りした翌日、本番4日前に靭帯を損傷し、痛み止めの注射とテーピングなしでは、まともに歩くことすらできなかったにも関わらずだ。


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