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スポーツ総合スレッド
1940
:
とはずがたり
:2016/08/15(月) 09:59:38
「負けた後はショックや怖さ、いろいろな葛藤がありますが、高藤は、銅メダルに向けて自分自身を奮い立たせていました」
「海老沼は最高のプレーヤーです。4年間、いろいろな苦労や困難と戦ってきたので、苦しみながら葛藤と戦い、よくここまでやってくれました」
そして、重量級金メダルの期待を背負っていた100kg級の羽賀龍之介の銅メダルの後もこう語った。
「羽賀は苦しみながら葛藤と戦い、よくここまでやってくれました」
「メダルをあまり気にしていない部分はあった」
全日程を終えて振り返る中では、こう語っている。
「メダルという目標はありますが、自分たちがやってきたことを精一杯出して戦ってほしいという思いで試合に送り出していました。だからメダルをあまり気にしていない部分はありました」
以前の代表は、このような雰囲気で臨んでいなかった。
金メダルを目標に掲げ、それに達しなければ選手への批判が飛び出した。また、ほとんどけなしているかのようにも感じられる言葉も少なくはなかった。
その根底には、反骨心を促そうと発奮させる意図があっただろう。ただ、それを伝え聞く選手たちは、ときに萎縮することもあったし、決して前向きに受け止めていないこともあった。
井上の数々の言葉は、以前とは真逆のスタンスだったことがうかがえる。
過去に処分を受けた高藤をとことん信じぬいた。
同時に井上は「選手をとことん信じる」スタイルも崩さなかった。
それはリオでの大会期間中に限った話ではない。監督就任後、その姿勢を貫いてきた。選手に寄り添おうとした。
象徴は2014年の世界選手権、高藤が規律違反から処分を受けたときのことだ。井上は「指導力の不足で、自分が情けないです」と頭を丸刈りにして、まずは自らを罰してみせた。
そんな井上の行動に、当事者の高藤も深く感じることがあったのは確か。その後、本人も取り組みや柔道に取り組む姿勢をあらためていった。
「いろいろな、素晴らしい子どもたちがいました」
井上の選手への心情は、大会を総括する囲み取材の中で、何度か繰り返された言葉にもあった。
「いろいろな子どもたちがいました」
「素晴らしい子どもたちでした」
選手との年齢差を考えれば、井上はどちらかと言えば、親というよりも兄貴分にあたるだろう。また、監督となって以降の取り組みとして、ときに「選手と対等な関係での会話」がクローズアップされたこともあった。
そんな報道とは少し異なる趣の「子どもたち」という言葉は、井上の選手への思いの根っこを示していた。
厳しい練習をくぐりぬけ、一定以上の力を持つからこそ、プライドも内包する日本代表選手たちの力を引き出したのは、鞭を振るうことではなかった。
わが子に接するような深い愛情とあたたかさを含んだ、心からの信頼だった。
文=松原孝臣
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