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スポーツ総合スレッド

1875とはずがたり:2016/02/29(月) 01:08:59
スポーツで筑波が活躍するのはとても嬉しい。

ラグビーか医師か W杯代表大学生が浪人時代にした決断
http://www.asahi.com/articles/ASHDT1168HDSUEHF02J.html
聞き手・丹治翔2016年1月4日11時28分

 昨年秋、日本中を沸かせたラグビーワールドカップ(W杯)イングランド大会。W杯で初めて3勝を挙げた日本代表のメンバーに、筑波大学4年生の福岡堅樹選手(23)がいます。将来は医師を目指すという福岡選手には、浪人時代に大きな「決断」がありました。
     ◇
 初めてのW杯で、2戦目のスコットランド戦に先発しました。試合の時は感じませんでしたが、振り返ると、ほかの選手たちは逆転勝ちした南アフリカ戦の疲労があったように思います。他の試合と比べると、明らかにミスが多かった。自分としても相手を崩すプレーがなかなかできず、いい場面でボールをもらうことができなかった。試合にも負け、完全燃焼かといわれるとそうではありません。

 でも、日本の歴史でこれだけW杯で勝利したチームは初めて。帰国してからの反応はすごかった。地元の福岡では声をかけられるようになりました。チームに同行できて、つらい思い出も一生語り合えるような貴重な経験ができたことは大きな財産です。エディさん(エディ・ジョーンズ前ヘッドコーチ)の練習は本当にきつかったので、もう1回したいかと言われれば遠慮したいですけど。

■父親の影響で始めたラグビー、けがで出会った医師の存在

 5歳から地元のクラブでラグビーを始めました。高校と大学でラグビー選手だった父親に連れられて。小さい頃から足が速かったので、ポジションは中学生からウィング。スピードで相手を振り切り、触らせずに抜き去った時は爽快です。

 ただ、中学生の時はラグビーで上を目指そうとは思っていませんでした。いくつかの高校から誘いがありましたけど、開業医の祖父の影響で医学部に行きたいと思っていたので、高校は文武両道の県立福岡高校に進みました。

 高校では1年生からレギュラーで出させてもらいました。でも、けがも多かった。2年生で左ひざ、3年生で右ひざの靱帯(じんたい)を断裂しました。3年生の時は花園(全国高校ラグビー大会)の福岡県予選が迫っていたので、手術をせず、テーピングでガチガチに固めて試合に出ました。花園にも出場できたので、3カ月間、靱帯がないままプレーをしました。

 両ひざの手術をしてくれたのは同じ整形外科の先生です。何事にも明るく、ポジティブに考えさせてくれる人で、「この先生の言う通りにすれば、しっかり復帰できる」と信じさせてくれる温かさがありました。先生に出会ったことで、より医師を目指す気持ちが強くなりました。

■浪人時代の受験校選択、浮かんだ三つの道

 志望校は国立大の医学部を考えていたので、強いラグビー部がある筑波大を目指しました。だけど、花園が決まった3年生の秋の時点で現役の合格は諦めていました。授業の範囲の勉強しかしなかったので、センター試験は医学(筑波大は医学群)の基準に全然足りなかった。2次試験も、解けないという感じではなかったけど、点数が足りなかった。

 浪人中は予備校に通っていました。勉強量は少ない方だったと思います。集中力が長く持つ方ではないので、帰宅してからは1〜2時間勉強するぐらい。授業も自分に必要な部分をしっかり聞いて、問題を解き、理解を深めることを繰り返しました。


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