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スポーツ総合スレッド

153とはずがたり:2006/08/12(土) 15:55:37
>>152
●虫垂がんは症例が少なく、開腹手術やレーザー治療などが困難
●抗がん剤ではなく、免疫力向上に効果があるとされる「リンパ球治療」を希望した。この治療には保険がきかず、1回の治療費は数十万円。治療効果があるサプリメントなども高額
●約13年の間、浅井をずっと叱咤激励し続けてきた佐々木功監督が皮膚のガンに蝕まれ、東京都狛江市の慈恵医科大学病院へ入院、その後数か月の余命と診断された。それをきっかけに1994年9月、佐々木監督は前妻と離婚して浅井えり子と入籍し結婚式を挙げる。佐々木はその後抗がん剤の効果も有り一時は好転して退院、同年12月には浅井と一緒にホノルルマラソンに行ける程までに回復したが、奇跡は起きなかった。佐々木の病状は翌1995年1月に悪化して再入院、浅井の必死の看病も空しく、同年3月13日に52歳の若さで逝去した。(Wikiより)

森千夏選手26歳の若さで急死
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2006/08/10/01.html

 陸上女子砲丸投げの日本記録保持者で、04年アテネ五輪に同種目としては日本から40年ぶりの出場を果たした森千夏(もり・ちなつ)さんが9日午前10時36分、東京都文京区の順天堂医院で虫垂がんのため死去した。26歳の若さだった。森さんはアテネ五輪直前から腹部の痛みを訴え、05年に虫垂がんと診断された。今年4月に病名を公表。母校の東京高を中心に治療費のための募金活動も行われていた。今年4月には一時退院し、将来の復帰を目指していたが、夢はかなわなかった。
 もう一度、五輪の舞台に立ちたいという森さんの願いは届かなかった。4月に一時退院を果たし、体力も徐々に回復していた森さんが、再入院したのは5月21日。今月5日に体調が急変し、7日からは昏睡(こんすい)状態に陥っていた。亡くなる直前には、病室を訪れた東京高の後輩が見せたインターハイの賞状に反応したというが、9日午前、ついに力尽きた。

 森さんはアテネ五輪出発直前の04年7月に体調を崩し、五輪から帰国後すぐに入院。翌年には「虫垂がん」と診断された。虫垂がんは症例が少なく、開腹手術やレーザー治療などが困難で、一時は「死」への恐怖から精神科にも通院した。05年は競技活動ができず、今年3月でスズキとの契約も打ち切られた。

 それでも現役復帰の夢は捨てず、抗がん剤ではなく、免疫力向上に効果があるとされる「リンパ球治療」を希望した。この治療には保険がきかず、1回の治療費は数十万円。治療効果があるサプリメントなども高額で、総治療費は森家全体の収入の半分以上を占めた。

 そのため、今年4月に病名を公表し、東京高の「森千夏を応援する会」を中心に、日本陸連、親交のあったアスリートが募金活動を開始。この日までに1200件以上、1500万円を超える募金が集まった。「当座の生活費や治療費が集まり感謝しています」との「お礼」がホームページ上に掲載されたのは先月中旬のことだった。陸上競技を愛し、ロンドン五輪での復帰を最後まで願っていたが、本人と周囲の願いもむなしく、26年の短い生涯を終えた。
[ 2006年08月10日付 紙面記事


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