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スポーツ総合スレッド
1348
:
チバQ
:2013/09/05(木) 22:58:54
http://www.yomiuri.co.jp/mts/db_mts_20091009.htm
なぜ駄目か? 五輪落選史
2016年の夏季オリンピック開催地選考で東京が敗れた。関係者の落胆には激しいものがある。日本が五輪招致で敗北したのは、戦後実に六回目。今回は「オリンピック敗北史」を探ってみた。
1981年10月1日付読売新聞朝刊
ソウルに負けた名古屋
有名なのは、88年オリンピックを巡る名古屋とソウルの誘致合戦。当初は「名古屋圧勝」の予想も囁かれていたが、投票が行われたバーデンバーデン(西ドイツ)で、投票直前にソウル側が積極的な誘致活動を展開。結局名古屋は52対27という大差で敗れ、アジアで二度目の夏季五輪はソウルに持っていかれた。
敗因を解説する記事の調子は厳しい。「ただ新鮮さを欠いただけではなく、地元を含む国民的コンセンサスを得られないまま、半ば強引な立候補が、招致団全体に情熱があったソウルに比べて、IOC委員に対する説得力を欠く結果ともなった点は否めない」(1981年10月1日付読売新聞朝刊)。同日付の夕刊社会面ではさらに辛らつな調子だ。「『行政主導、市民不在』といわれた誘致運動に加え、『なぜ名古屋で開催するのか』という必然性に欠けていたのがたたったようだ」。「スタートラインから間違っていた」と断じているも同然である。
この失敗を「外交下手」の一種とみなす解説記事も登場している。10月2日付朝刊では、国連安保理非常任理事国に立候補しながらバングラデシュに敗れたのを引き合いに出し、「日本の立候補は(中略)“あこぎな行為”→大国主義と映ったようだ」「自国の行動が他国に、どう受けとめられるか、もう少しデリケートな神経を払う必要があるようだ」としている。
この落選には、さらに痛ましい“後遺症”もあった。オリンピック誘致を推進した仲谷義明知事は、失敗の責任を負う形で83年2月に退任。その後88年11月19日には自殺している。招致失敗との関連は不明だが……。
大阪は「6票」で落選
2008年オリンピック誘致を目指した大阪の活動は、最下位で落選という衝撃的な結末で幕を閉じた。2001年7月13日、モスクワで行われた決定投票で、大阪は1回目の投票でわずか6票しか取れず、無残に落選。当時伝えられた招致活動費は48億円で「一票あたり6億円」と揶揄される事態にも。
この時は、複雑な事情が大阪を敗北に追いこんだ、とも言われている。アジアのライバル都市である北京の立候補に加え、ソルトレークオリンピックでの買収スキャンダルが発覚。大阪は「クリーン招致」を掲げて戦ったのだが、「競技団体関係者の一人は『クリーンを言い訳にし、IOC委員への働きかけの量はライバル都市より少なかった』と批判的だ」(2001年7月14日付朝刊)という声も。しかも総会直前には、シドニー五輪の視察で職員の出張旅費を水増し、タクシー代や会食代をねん出した不正経理が発覚。この事態が市民団体による刑事告発に発展し、「クリーン」は看板倒れになってしまった。
2009年10月3日付読売新聞朝刊
もっともこの時は、事前にかなりの不利が伝えられていた。事前に公表されたIOCの報告書でも「公害」「交通」の問題が指摘され、この問題解決に対する予算措置がされていないことが指摘された。ライバル都市に比べれば、当初から出遅れていた格好である。落選により、五輪会場として予定されていた土地の利用が宙に浮いてしまうなど、「負の遺産」も無視できない規模になった。
ああ、東京も……
記憶に新しい「東京落選」は10月2日。リオデジャネイロ、マドリード、シカゴ、東京の四都市が最終選考に残り、1回目の投票でまずシカゴが落選。東京は三者への投票となる2回目で最下位に終わり、レースから脱落した。結局2016年五輪の開催地を射止めたのは、南米では初となるリオ。
東京の失敗は、結局「なぜ東京で開催するのか」という根本的な問題について、説得力ある説明ができなかったことに尽きるのではないか。2009年10月3日付の朝刊運動面でも「東京が開催理念として前面に打ち出した環境について、ある委員が『IOCは国連じゃない』と異議を唱えるなど、最も大切な『なぜ東京で五輪を開くのか』という理由付けで、委員を説得することができなかった」と敗因を分析している。
この辺り、名古屋五輪の敗因分析とほとんど同じ。当時の教訓がまったく生きなかったということだ。「やりたい」「やりましょう」という関係者の情熱だけでは、もはや大義名分にはならないのだろう。オリンピックが純粋なスポーツイベントだった時代は、とうに終わっているのだ。
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