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スポーツ総合スレッド

1272チバQ:2013/01/15(火) 22:48:31
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130113/oth13011314520007-n1.htm
【オリンピックを東京へ】
(3)力業と寝業 招致レースは「ケンカ」
2013.1.13 14:50 (1/2ページ)[五輪]
 国際舞台では「ハグ(抱擁)とキス」が社交の入り口とされる。2020年夏季五輪招致をめぐるレースでも、東京招致委員会はこの日本的でない風習を受け入れ、国際オリンピック委員会(IOC)委員の顔色をうかがうことになろう。

 ただし友好の扉を開けた先にあるのは戦場だ。「言葉は悪いけど、招致活動はケンカ。顔で笑って、テーブルの下で互いのすねを蹴り合っている」。2011年10月に、世界体操選手権の東京開催を実現させた渡辺守成・日本協会専務理事は、こう言い切る。

 その約7カ月前。東日本大震災が起こった直後に国際体操連盟(FIG)は「東京開催を再検討する」との通達を出した。余震や津波、原発事故に伴う放射能漏れへの不安が世界を駆けめぐり、開催地変更を示唆するものと受け取れた。

 あわてた渡辺専務理事は4月にFIGのグランディ会長にドイツで直談判し、改めて東京開催の支持を取り付けた。大会の公式ホームページでは東京の放射線量のデータを示し、世界の主要都市と差がないことを強調。成田空港と世界主要都市を結ぶ便が平常に戻ったことも伝え、「東京の安全」を7カ国語に翻訳して発信した。

 「大切なのは、カギを握る関係者と直接話し、正確な情報を過不足なく伝えること」(渡辺専務理事)。アジア、中南米、アフリカなど計11カ国を訪れ、各大陸連盟会長らにも理解を求めた。東京開催の可否を決めるFIG評議員会が、米国で開かれたのは同年5月。日本オリンピック委員会(JOC)や在米総領事、都の幹部らも登壇して東京開催を求めるプレゼンテーションを行った裏で、こんな一幕もあった。

 評議員会当日の朝、最後まで難色を示していたロシア協会の代表に、渡辺専務理事はこう迫ったという。「評議員会で一言でも発言したら、ロシアの体操関係者には二度と日本の地を踏ませない」。力業ともいえるひと言で相手は折れ、東京開催は追認された。

 FIGには別の提案もしている。ソニー、トヨタ自動車など世界に鳴り響く企業名を挙げ、「世界体操が東京で開かれれば、日本の企業をFIGの公式スポンサーにできるよう努力する」とメリットも説いた。まだ実現してはいないが、こうした力業と寝業で手詰まりを打開した姿勢は、20年招致にも通じるだろう。

 振り返れば、1998年冬季五輪招致で長野が勝利した舞台裏には、元西武鉄道グループ総帥の堤義明氏という実力者がいた。元世界卓球連盟会長の故荻村伊智朗氏は、IOCの故サマランチ会長と昵懇(じつこん)の仲だった。

 91年4〜5月に千葉・幕張メッセで開かれた世界卓球選手権。荻村氏はサマランチ氏を大会に招き、堤氏は長野視察の案内役を買って出た。当時を知る関係者によれば、海浜幕張駅から長野までの特別列車を仕立て、サマランチ氏を歓待したという。開催地が長野に決まったのは、その直後だった。後にスポーツ界を追われる堤氏の功罪はあるとしても、IOCの中枢に顔の利く人材は今の日本に見当たらない。

 今回、招致委が期待を寄せるのは国内競技団体(NF)を通じた根回し。IOC委員には陸上、水泳の関係者が多い。五輪経験者や国際競技連盟(IF)役員の肩書を持つIOC委員は、陸上と水泳を合わせて20人に近い。招致委は昨夏、日本陸連や日本水連などを個別訪問し、IFの人脈を通じたIOC委員の切り崩しを依頼した。

 安倍晋三首相には、開催地が決まる9月7日のIOC総会(ブエノスアイレス)への出席を要請している。「今回は総力戦。(IOCに)チャンネルを持っている方々に協力をいただき、われわれの思いをアグレッシブに伝えていきたい」とJOCの竹田恒和会長。人の良さそうな笑みを浮かべたが、敵の向こうずねを蹴飛ばすしたたかさはあるだろうか…。


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