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スポーツ総合スレッド
1052
:
チバQ
:2010/12/08(水) 22:50:29
http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/101203/scr1012031855035-n1.htm
【W杯招致失敗】(上)「トゥースーン」に答え出ず 大きかった“本気度”の違い (1/2ページ)
2010.12.3 18:48
「トゥースーン(too soon=開催が早過ぎる)を崩すことができなかった」
2日、華々しく行われたサッカーのワールドカップ(W杯)2018、22年大会の開催地発表セレモニー。その会場を早々に引き揚げ、報道陣の前に姿を現した日本招致委委員長(日本協会会長)の小倉純二は、敗因を口にした。
韓国との共同開催だった02年大会から、わずか8年。22年大会では20年の間隔になるが、ロビー活動で、小倉らが他の理事の説得工作に回った中で、何度も聞かされた言葉が「日本での開催はトゥースーン」だった。
日本招致委でも手をこまねいていたわけではない。「前回は半分の32試合しかやっていない」と再挑戦の正当性を訴え、投票前日の最終演説には22年に20歳になる子役タレントの佐々木りお(8)を起用して歳月の長さを強調。ソニー会長兼社長のハワード・ストリンガーも「ビジネスの世界でもトゥースーンはよく聞く。(結果的に大ヒットした)ウォークマンもそうだった」と援護した。
だが結果的に、時期尚早との批判を凌駕(りょうが)する大義や機運は生み出せなかった。
◇
「50年までにW杯を日本で開催し優勝する」。日本サッカー協会が05年に出したこのJFA宣言の実現に向け、09年1月に発足した招致委だが、当初計画していた経済界からのトップ就任も実現しないまま見切り発車を余儀なくされた。02年大会の際には開催自治体からの協力も取り付けて約89億円を投じた招致費用も、今回は大半が日本協会持ち出しの約9億5千万円にとどまった。
さらに、大きな“誤算”がのしかかる。09年10月、16年夏季五輪に立候補していた東京が落選。このため、W杯開幕戦・決勝会場の有力候補だった五輪スタジアム建設が頓挫(とんざ)してしまったのだ。
国内の盛り上がりは最後までなく、国内開催候補地を募った際の自治体の反応も冷ややかだった。FIFA理事会での最終演説には、文部科学副大臣の鈴木寛は出席したが、首相の菅直人から要請を受けていた前首相の鳩山由紀夫の姿はなかった。日本全体の“本気度”がどれほどだったかは疑わしい。
「スタジアムも02年は通用したが、今は通用しない。政府も含めて考えてもらわないといけない」。小倉から“恨み節”も漏れた。
◇
22年大会はカタールに決まったことで、アジアの国からは26、30年大会には立候補できない。日本が再挑戦できるのは最短で34年。だが、人口13億人の中国が初開催に向け立候補の動きを見せており、よほど戦略を練り直さない限り、日本の勝機は少ない。
投票前の理事会で会長のゼップ・ブラッターが興味深いと発言した、日本の強みでもある最先端技術。「次世代のW杯」として一定の評価を得たが、韓国が最終演説に全会場への3Dカメラ搭載を盛り込むなど、もはや“専売特許”とは行かなくなりつつある。
何より、新鮮さを失ったアイデアは今後使いづらい。少数精鋭の招致部隊が短期決戦ですべてを出し切った“ツケ”は、招致レースにも、重くのしかかってくることになる。(敬称略)
◇
18、22年W杯の開催地がロシア、カタールに決まった。22年大会で悲願の単独開催を目指した日本は2回目の投票で敗れ、招致に失敗した。日本に何が、どのように足りなかったのか。関係者の証言を交えながら検証する。
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