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スポーツ総合スレッド

1044チバQ:2010/12/04(土) 00:51:01
http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/101203/scr1012030105004-n1.htm
【W杯招致】スタジアム頓挫、招致委トップ交代…一筋縄ではいかず
2010.12.3 00:57
 「2050年までにW杯を日本で開催し優勝する」−。日本協会は05年に出したこのJFA宣言実現に向け、02年日韓大会開催からあまり間隔を置かず、2度目のW杯招致に早々と着手した。だが結果的には、国内事情だけを見てもアクシデント続出の一筋縄ではいかない招致レースを余儀なくされ、あっけなく敗れた。

 09年9月、招致委は日本協会の犬飼基昭会長をトップに船出するが、最初の難所が早速翌月にやってきた。16年夏季五輪招致で東京が落選。FIFAがW杯開催候補地に開幕戦・決勝会場として要求してきた8万人収容のスタジアムは、同五輪招致で東京・晴海に新設されるスタジアムをあてにしてきただけに、大きな計画変更を迫られることになった。

 それでも12月には大阪市の一等地でのスタジアム建設計画が持ち上がり、招致委はここを新たな開幕・決勝候補地とした開催案を練り上げた。今年6月のW杯南アフリカ大会では日本代表が16強と躍進、追い風を感じながら7月のFIFAによる現地調査を迎えた。

 ところが視察終了直後、犬飼会長が体調不良を理由に日本協会会長と招致委委員長を退任。開催地決定まで半年を切った中でのトップ交代は、少なくとも好印象につながるものではなかった。両ポストの後任を託されたFIFA理事でもある小倉純二委員長が多忙の中で立て直しに奔走。投票前日の最終演説を終え、「やることはやった」とようやく納得の表情を浮かべたが、最終盤に来て韓国との共同開催を受け入れざるを得なかった02年大会同様、苦悩とともに歩んだ招致レースだった。(奥村信哉)


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