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スポーツ総合スレッド
1020
:
小説吉田学校読者
:2010/11/15(月) 18:50:59
私が朝ズバ!を毎朝見ている理由は、取材陣の小回りの良さと、語弊があるかもしれないが、障害者スポーツを折にふれて、しかも姿勢も厳しく、報じるところを評価しているからです。選手への期待は厳しいが、それは優しさの裏返しであります。
なんか、朝ズバ!賛歌になってしまったが、その朝ズバ!、この記事を映像で流したんですが、本日、出勤前に、私泣きそうになってしまいました。感動したわけではなく、国枝慎吾の強さに、圧倒された。絶対的圧倒。圧倒の前には涙が浮かぶくらいのことしか私にはできないのであります。
APECも日中外交も福岡市長選も今朝は私吹っ飛んでしまいました。
そして、これは映像の凄さでもあるのだが、こういうニュースがあるのに、ネットに上げない、つまり世間に伝えようとしないTBS報道局は何を考えておるのか。
車いすテニス選手の国枝、17年ぶり歩いた
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20101115-702365.html
北京パラリンピック車いすテニスの金メダリスト国枝慎吾(26)が14日、自分の足だけで歩いた。9歳の時に脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)になって以来17年間、車いす生活だった。昨年11月から猛リハビリを重ね、都内で通うジムの歩行発表会に参加。約400人の前で自立歩行を披露した。12年ロンドンでパラリンピック2連覇を狙うが、日常生活では「階段のあるレストランでのディナー」を目標としている。
400人以上が国枝の“1歩”を食い入るように見つめた。ステージ幅は約7メートル。よろけても大丈夫なように、スタッフが鉄棒を滑らせて先行した。国枝がその後を追い掛けた。大きく左腕を振り上げ、右ひざを高く浮かせた。左足だけで立った。直後、右足を踏み出した。国枝が自分の足で歩いた、歩けたのだ。
力強い14歩だった。場内は拍手に包まれ、涙をぬぐう人もいた。「緊張しましたよ。明日からオランダに飛んで大会ですが、スッキリした気持ちで行ける」と話し、歩いた連続写真を確認して「うーん、下を向きすぎ。もっと自然に歩きたいなぁ」と真剣な表情で自分に“ダメ出し”した。
ちょうど1年前の昨年11月に、日本で唯一の脊髄損傷者専門のトレーニングジム「J−ワークアウト」(東京都江東区)に通い始めた。車いすテニス仲間に教えてもらったジムだった。「2〜3段のちょっとした階段のあるレストランに入れない。いつも階段を意識して店選びをしてる。歩ければ気にせずにどこにでもいける」と語った。同ジム社長の渡辺淳トレーナー(29)と相談しながらリハビリメニューを決めた。
9歳時の脊髄腫瘍が原因で歩けなくなった。17年間、足を使っていない。特に右足はねじれて変形し、マッサージをして足の形を戻すところから始まった。今年2月、車いすから立てた。同5月、1分以上2本の足で立ち続けられた。昨年11月、ふくらはぎ周りは右が23・5センチ、左24センチ。今はそれぞれ27・5センチ、26・5センチと確実に太くなった。
太ももまでは感覚があるが、ふくらはぎからはあまり感じない。足首をマッサージして柔軟性を持たせて、ももの筋力をアップして歩けるように特訓している。車いすテニスでは北京パラリンピックで金メダル、そして現在シングルス105連勝で世界ランク1位だ。昨年4月には、日本人初のプロ選手となった。
歩行訓練をすることで、下半身が強くなったのか「最近、コーチにサーブが鋭くなったと褒められた。それと小便を立ってできるようになった」と笑う。階段のあるレストランでのディナーはまだ先だが、1年後の目標はピョンピョンとジャンプすること。「僕が歩ければ、多くの車いすで生活する人を励ませるかもしれないもんね」とペロリと舌を出した。
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