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市場・株・為替・経済変動・景気循環
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AI短編小説『ヤクザに縋る落ちこぼれと日本の失われた30年』
:2025/05/25(日) 16:24:09
広道会は名古屋市中村区を本拠とする関係で、愛知自動車や三河発祥の徳平一門とも深い結び付きを持つ」
>ヴィクターは続けた。
>「広道会が中核組織に伸し上がった背景は、その経済力や規模だけじゃない。**コンピューターを駆使した知能犯罪を強化したこと**にあった。
データを蓄積して組織構成員の人事管理を行い、暗号通信で子分への指示を授受するなど厳格なセキュリティー網を構築して、組織の実態を秘匿することに努めた。
さらに、平時から敵対する可能性のある組幹部の事務所や立ち寄り先をコンピューターにデータ入力するなど、**デジタル情報戦**に注力していた。
そればかりか、**法テク**も駆使して警察の取り調べや対話に対して完全に黙秘を通したり、家宅捜索では出入口を封鎖して捜査員の入室を妨害するなど、警察に対して徹底的な対決姿勢を示すことでも知られて来た。
https://i.postimg.cc/9FB0HsW1/22829483-s.jpg
名古屋市中村区に本部を置く聖忍組長の広道会は、内部の『千仁会』という組織が中心となって、暴力団捜査担当の警察官の氏名や年齢、住所、所有車のナンバーから家族や親戚、知人に至る様々な個人情報(勤務先や通学する学校など)を収集し、暗黙に警察官に圧力を掛けるなどして来たんだ」
>「つまり、経済力と暴力だけでなく、情報戦と法テクを駆使する現代的な犯罪組織になったということね」ポーラはメモを取った。
>「その通りだ。武闘派路線の川口組の中で広道会が伸し上がった背景は、名古屋港の物流(愛知自動車など)を押さえた経済基盤と、コンピューターを駆使した株・為替投機、弁護士を前面に立てて警察に盾突く法テク、そしてコンピューターを駆使して配下の組員のみならず敵対組織のデータ、警察組織の個人情報や行動パターンまでデータベース化して把握し先手を打つ機動性など、ライバルの二次組織の追随を許さない**知能犯集団**としての技を磨いて来たことにある」
>---
https://i.postimg.cc/9M8dFztX/publicdomainq-0064900iqwmvh.jpg
>### 落ちこぼれの出世と裏社会の結びつき
>ヴィクターは話の焦点をさらに深めた。
>「北関東一円を縄張りとする的屋系ヤクザの**日吉会 日吉一家 光和会**は栃木市万町に本部を置く。
公立小中学校の運動会や映画『男はつらいよ』で馴染み深い、あの的屋だ。
1989年に栃木県壬生町出身の**渡芳則**が五代目川口組の組長に就いた頃、大阪の下駄屋の小セガレである**福江俊彦**がポン銀理事に昇進した。
この福江俊彦は、東都大学法学部卒ながら、早慶明治でも多数合格する司法試験にも国家公務員総合職試験にも受からなかった**東都大学法学部の落ちこぼれ**だった。
https://i.postimg.cc/xd1mHSPF/3730803-s-1-1-1-1-1.jpg
頭ではライバルに敵わないと観念した福江俊彦は、自分の地元である神戸・大阪を地盤とする川口組に接近し、それを武器にすることで伸し上がったんだ。
https://i.postimg.cc/FzW6j9yD/4198258-s-1-1-1-2-1.jpg
1989年にポン銀理事に昇進した福江俊彦が接近した相手が、まさにその年に五代目組長に昇進した栃木県壬生町出身の渡芳則だったと考えられる」
>「つまり、学歴や能力では勝てない人間が、ヤクザの力を利用して出世したと?」ポーラは眉をひそめた。
https://i.postimg.cc/tgnxDNLh/shared-image-1747895410156.jpg
>「まさにその通りだ。さらに驚くべきことに、三流の日大卒で田舎っぺ県議あがりの**江藤勉**が、何故か2008年にヤクザを取り締まる**国家公安委員長**に抜擢された。
しかも、江藤勉は2021年総選挙公報に『自分は大型バイクを購入したので余暇に楽しみたい』などと国政と無関係の不可解な書き込みを行った。
https://i.postimg.cc/rskF11kF/1745931251789-1.jpg
爆音バイクの同和ダンプ屋の小島新吾一家が、いきなり堅気の住宅地(大島武夫の土地)に住み着いたのは、福江俊彦がポン銀理事に、渡芳則が組長に昇進して2年後の1991年頃だった。
偶然にしては出来すぎたタイミングだと思わないか?
宇都宮大学に落ちて三流の日大に行った**大島武夫**が青山第一小学校の校長になれたのも、五代目川口組の息のかかった江藤勉と同じ三流日大卒の縁で、五代目川口組の力添えがあったためであるのは確実だ」
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