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2034マルクス主義に思った程の追い風が吹かず田舎の第二地銀頭取どまり:2025/03/27(木) 20:36:21
〓クレージー京大生が立ち上げた赤軍派(復習):



>明治大学や中央大学学生グループの『関東派』(「連合ブント」)によって1969年8月に第2次ブント(『共産主義者同盟』)から除名された塩見孝也(クレージー京大中退)の「関西派」は強硬な武闘派路線に固執していた。

>1969年8月に第2次ブント(『共産主義者同盟』)から除名された雪辱を果たすべく、強硬な武闘派路線を掲げた塩見孝也(クレージー京大中退)の「関西派」は、1969年9月に関東学院大学金沢キャンパス内に集結し、『共産主義者同盟 赤軍派』を旗揚げした。

>強硬な武闘派路線を掲げ1969年9月に関東学院大学金沢キャンパス内で旗揚げした塩見孝也の『共産主義者同盟 赤軍派』(旧第2次ブント関西派)は、翌1970年に「よど号ハイジャック事件」を引き起こし左朝鮮に逃亡。

>日本に残った『赤軍派』メンバーは、同じ武闘派路線を突き進む『日本共産党(革命左派)神奈川県委員会』(「京浜安保共闘革命左派」)と合同して1971年に『連合赤軍』を立ち上げ、1972年に「あさま山荘事件」を引き起こした。

>「よど号ハイジャック事件」の後 海外に逃亡した『赤軍派』の一派はマルクス・レーニン主義のPFLPの手先となって『日本赤軍』を名乗り、1972年5月テルアビブ近郊のロッド空港(イスラエル)において手榴弾と自動小銃を使った無差別テロを引き起こした。


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