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国際政治・世界事情

7669とはずがたり:2014/03/21(金) 11:14:44
>かつてはソ連の一部でロシアとつながりが深いトランスニストリア(モルドバ東部の沿ドニエストル)国境まで影響範囲を広げたいと考える者もいる。

モルドバは此処
http://www.worldmapfinder.com/Map_Earth.php?ID=/Jp/Europe/Moldova

モルドバ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90
現在、ドニエストル川東岸地域が沿ドニエストル共和国として事実上、独立状態にある。

中世には、モルダビア公国の東部を構成していた。16世紀にはモルダビアはオスマン帝国の属国になったが、他のバルカン諸国と違って部分的な支配だった。露土戦争の結果、1812年ブカレスト条約によりベッサラビアとして帝政ロシアに併合される。第一次世界大戦終了後の1918年、ベッサラビアは独立宣言して、同年ルーマニアの一部になる。
ソビエト連邦は1940年6月にベッサラビアを占領、モルダビア・ソビエト社会主義共和国が建国されソ連の一部となる。これは一部戦略的に重要な黒海沿岸などをウクライナ領としたもので、トランスニストリアが加わったものの面積は小さくなり、陸の孤島となった。独ソ不可侵条約が破られるとドイツ寄りの政権であったルーマニアはベッサラビアとウクライナの一部を併合してかつての形になる。1944年ソビエト軍の侵攻で、モルダビア・ソビエト社会主義共和国に戻る。スターリン政権の下、ルーマニア系住民がカザフスタンやシベリア送りとなった。
1991年8月ソビエト崩壊後、モルドバとして独立を宣言し、1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に加盟。なお、ソ連時代のモルダビア・ソビエト社会主義共和国の国旗と国章は、スラブ系住民が多いことから分離独立を宣言した沿ドニエストルがそのまま継承し、独立以降のモルドバの国旗はルーマニアとよく似たものに変更した。これにともなって都市名も、キシニョフ (Kishinev) をキシナウ (Chişinău)というように、ロシア語からルーマニア語に全て戻した。

アングル:ロシアが狙う「クリミアの次」、侵攻懸念なお消えず
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2H06720140318?sp=true
2014年 03月 18日 17:07 JST

[モスクワ 17日 ロイター] -ロシアがクリミア自治共和国の実効支配を進めたこの数週間、ロシアのメディアは帝政ロシア時代に使われた「ノボロシア(新ロシア)」という呼称でウクライナ南部一帯を呼び始めた。

ロシア軍がウクライナ国境付近に部隊を配置し、ロシア系住民への暴力を防ぐ目的として軍事介入をちらつかせる中、プーチン大統領がクリミアだけにとどまらず、ウクライナ東部と南部でさらなる占領拡大を狙うのではという見方も浮上している。

ロシアでは、ウクライナ東部と南部の大部分を併合し、かつてはソ連の一部でロシアとつながりが深いトランスニストリア(モルドバ東部の沿ドニエストル)国境まで影響範囲を広げたいと考える者もいる。

ロシアの政治コメンテーター、ユリア・ラチニナ氏はラジオ番組で、「クレムリンの動きに、トランスニストリアまでの領土を収奪する狙いがあるのは明らか。もちろん、(ウクライナ)東部もだ」と指摘した。

しかし、欧米の専門家の多くは、ロシアのこうした動きが概して見せかけにすぎないと見ている。プーチン氏が欧米にクリミア支配を認めさせるために脅しをかけようとしているというのだ。ある西側当局者は、プーチン氏が戦闘を交えずに長期的に領土を獲得しようと、時間をかけてロシア系住民の抵抗運動を煽ろうとするだろうと予想する。

米シンクタンクのユーラシア・グループは、「ロシアによる侵攻の可能性は非常に高いが、結局起きないだろう」とし、まずウクライナ東部を不安定化させることで、さらなる影響力を得ようとすると分析した。


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