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国際政治・世界事情
7523
:
とはずがたり
:2014/03/03(月) 17:37:05
ロシアはクリミアのウクライナからの独立を認めてチェチェンのロシアからの独立も認めるべきだな♪
ロシアにとってどっちが大切かは明らかであろう。
クリミア、フルシチョフが帰属変更…係争の一因
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20140302-567-OYT1T00520.html
読売新聞2014年3月3日(月)08:13
【キエフ=田村雄】ロシアが軍事行使の準備を進めるウクライナ南部のクリミア自治共和国は、両国が帰属を巡り綱引きを繰り広げてきた係争の地だ。
同共和国が位置するクリミア半島は、黒海に突き出た半島で、面積は約2万6000平方キロ・メートル。15世紀に建設されたタタール人国家を経て、18世紀に帝政ロシアに併合された。帝国の崩壊後、半島は引き続きソ連に編入され、第2次大戦末期に米英ソが戦後秩序を協議したヤルタなどの保養地はロシア人に人気となった。ロシア系住民が多いのは、長いロシア領の歴史があるためだ。
対立の契機となるのが、1954年、ソ連のフルシチョフ党第1書記(当時)が、クリミアの帰属をロシア領からウクライナ領に変更したことだ。フルシチョフが、青年時代を過ごしたウクライナに強い愛着を持ったことが一因と言われる。
この決断は、ソ連が崩壊し、91年にウクライナが独立すると、ロシアとウクライナの対立に発展する。クリミアは90年代、ウクライナからの「独立」を宣言したり、自治権拡大を要求したりし、ロシアはこれを支持し、ウクライナは反発した。だが、ロシアは、自国内のチェチェン共和国の独立を阻止するのに、クリミアの独立を認めるとの「二重基準」を批判されたこともあり、やがてクリミアをウクライナ領と認めた。
クリミアは、96年のウクライナ憲法で、ウクライナ唯一の自治共和国となった。ウクライナが、クリミアの独立要求の高まりを抑えるため、「国家並み」の権限を与えたとの見方が有力だ。
ウクライナ憲法は、条文に矛盾しない範囲内で、クリミアに独自の憲法制定や、政府や議会の設置を認めているが、ウクライナの一行政体だ。
ロシアが今回、強硬姿勢に出るのは、クリミア半島南部のセバストポリを黒海艦隊の母港としているためでもある。セバストポリは軍事的拠点としての重要性などから、自治共和国に編入されず、ウクライナ政府が直接管轄してきた。今回の政変で、欧米寄りのウクライナ政府が誕生したことは、艦隊基地の駐留継続を望むロシアには脅威となる。
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