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国際政治・世界事情

7480チバQ:2014/02/26(水) 21:50:49
http://www.47news.jp/47topics/e/250663.php
【ウクライナ政権崩壊】成果なき革命に不満鬱積 国際的綱引きが分断助長
 野党主導の議会が暫定政権樹立に向かい、ヤヌコビッチ政権が崩壊したウクライナ。民主化を求めた約10年前の政変「オレンジ革命」が成果を上げられず、国民には不満と政治不信が 鬱積 (うっせき) していた。当時から対立を続けてきたヤヌコビッチ大統領とティモシェンコ元首相の背後にはそれぞれロシアと欧米諸国がおり、双方の綱引きがウクライナ国内の政治的分断を助長している。  ▽野党候補に猛毒  2004年の大統領選。首相だったヤヌコビッチ氏は親ロシアのクチマ大統領(当時)から後継指名され、選挙前からプーチン・ロシア大統領と会談するなど当選が確実視されていた。しかしロシアの強い影響下にある東部ドネツク州出身で、ウクライナ語がうまく話せないヤヌコビッチ氏は国民的人気を欠いた。
 選挙戦中に、野党候補ユーシェンコ氏が猛毒のダイオキシンを摂取させられ、端正だった顔がゆがんだ状態で政権側の不正を訴えると政権批判が一気に高まり、第1回投票では首位になった。

 11月の決選投票でヤヌコビッチ氏当選の発表後、不正を指弾する「独立広場」の野党側集会に10万人以上の市民が参加し、野党のシンボルカラーであるオレンジのリボンを身に着けて選挙やり直しを要求。欧米が野党側に肩入れする中、最高裁が決選投票を無効とし、やり直し選挙でユーシェンコ氏が当選した。

 ▽公約実現せず

 この無血の「オレンジ革命」で、巧みな演説で大衆を動員し、立役者になったのがティモシェンコ氏。以来、ヤヌコビッチ氏の宿敵となった。ヤヌコビッチ氏はデモの武力鎮圧を主張したが、「そんなことが可能と思うか」とクチマ氏にたしなめられたといわれる。

 誕生した親欧米政権で首相となったティモシェンコ氏は急進改革を主張、穏健路線のユーシェンコ大統領と対立し始める。05年9月に大統領がティモシェンコ首相を解任、国民生活の向上など「革命」の公約はほとんど実現せず、新政権は国民に見放された。

 10年の大統領選でヤヌコビッチ氏と直接対決して敗れたティモシェンコ氏は、首相在任時の職権乱用の罪に問われて起訴され、11年に禁錮7年の判決を受け収監された。

 ▽カリスマに衰え

 北大西洋条約機構(NATO)加盟も視野に入れたユーシェンコ政権にはロシアが反発。ロシアは天然ガス輸出価格の大幅引き上げなどで圧力をかけ、08年のリーマン・ショック後にウクライナ経済は破綻に直面した。

 続くヤヌコビッチ政権は、一時は欧州連合(EU)と関係を強化する連合協定締結に傾いたが、条件としてティモシェンコ氏の出国を認めるようEUに迫られ、土壇場で棚上げに。怒った市民が再び集結した独立広場の集会は昨年11月以降続き、治安部隊とデモ隊の衝突で多数の死者を出す惨事に至る。

 オレンジ革命の役者たちは果てしない対立や失政で国民の支持を失った。ユーシェンコ氏は表舞台を去って久しい。今回の政変で首都を明け渡したヤヌコビッチ氏は地盤の東部で「野党の試みはクーデター」と非難。解放されたティモシェンコ氏は独立広場に現れ車いすで登壇したが、かつてのカリスマ的人気はない。リーダー不在のウクライナ政局は当面、混迷が続きそうだ。(共同=佐藤親賢)

(共同通信)

2014/02/25 11:53


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