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国際政治・世界事情

7473チバQ:2014/02/26(水) 20:54:15
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140226/erp14022608540002-n1.htm
旧ソ連圏第2の大国・ウクライナ 「生い立ち」異なる東西の歴史
2014.2.26 08:52 (1/3ページ)

 ■オレンジ革命後も内紛絶えず

 ウクライナで親ロシア派のヤヌコビッチ政権が崩壊し、この国の行方に関心が集まっている。ウクライナの成り立ちなど基本的事項をQ&A形式で整理した。(キエフ 遠藤良介)

                   ◇

 Q どんな国か

 A 一般に旧ソ連地域で第2の大国といわれる。国土は日本の約1・6倍にあたる60万3700平方キロメートルで、人口4543万人。住民の8割近くはウクライナ人で、南部を中心にロシア系が2割近くいる。

 肥沃(ひよく)な黒土を擁し、古くから「欧州の穀倉地帯」と呼ばれた。東部は石炭と鉄鉱石が豊富で工業基盤がある。代表的なロシア料理のボルシチは実はウクライナが起源だ。1986年に大事故を起こしたチェルノブイリ原発が北部にある。

 Q 西部と東部の住民の対立が深刻だと聞く

 A 13世紀まで存在したキエフ公国は、ロシア人など東スラブ諸民族にとって共通の国家発祥地だ。その後は複雑な歴史をたどり、1667年には西部がポーランド、東部がロシア領という構図ができた。18世紀には大半がロシアに入ったが、リビウなど最西部が旧ソ連に編入されたのは第二次世界大戦後と遅い。

 長くポーランドのカトリック文化圏にあった西部では「欧州の一員」という意識が強く、住民の大半がウクライナ語を話す。東部ではロシア語使用率が高く、ロシアへの親近感が強い。

 Q ソ連時代にはどんなことがあったか

 A 1920年代末からの農業集団化と穀物徴発は大飢饉(ききん)を招き、33年前後には推定で人口の10%以上が死亡した。西部では第二次大戦から戦後にかけて対ソ連パルチザン闘争が起きた。これは現在のウクライナ民族主義にも影響を与えている。他方、工業化路線が取られた東部では鉄鋼や機械、航空機製造などが発展し、軍需分野も強い。

 91年のソ連崩壊以降も「アイデンティティーの西部と経済力の東部」という図式が維持されている。

 Q 2004年にも大衆の抗議デモによる政変があった

 A 04年の大統領選で親露派のヤヌコビッチ氏が当選したが、「選挙不正」を訴える大規模デモが起きた。やり直し選挙で親欧米派のユシチェンコ大統領が誕生した出来事が、デモのシンボルカラーを取って「オレンジ革命」と呼ばれる。長く続いた親露派政権の腐敗や抑圧に、西部を中心とする住民が不満を強めたことが根底にあった。

 しかし、新政権ではユシチェンコ氏と「革命」の立役者だった女性政治家、ティモシェンコ氏の内紛が絶えず、経済も好転しなかった。06年と09年には、ロシアが価格交渉のもつれからウクライナへの天然ガス供給を停止するなど圧力を強め、政権は苦しい立場に追い込まれた。

 Q 今回の政変はなぜ起きたのか

 A 10年の大統領選ではヤヌコビッチ氏が僅差で雪辱を果たした。だが、この政権はティモシェンコ氏を投獄するなど反対派への抑圧を強め、その腐敗と利権追求の姿勢にも大衆の反発が蓄積した。政権が昨年11月、ロシアの支援を目当てに欧州連合(EU)との連合協定締結を見送ると再び大規模デモが行われ、政権の崩壊につながった。

 Q 今後はどうなる

 A 次の大統領選では、釈放されたばかりのティモシェンコ氏や、野党第二党を率いる前ボクシング世界王者のクリチコ氏など親欧米派が有力視されている。だが、何より経済危機からの脱却が課題で、東部との和解も不可欠だ。ロシアも、天然ガス供給やウクライナ南部クリミア半島の海軍基地を足がかりに、さまざまな圧力をかけるとみられる。


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