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国際政治・世界事情

7466チバQ:2014/02/25(火) 20:42:47
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140225/erp14022508420003-n1.htm
政権崩壊、デモ隊が統制する首都キエフ「市民は圧政と腐敗に怒ったのだ」
2014.2.25 08:40 (1/2ページ)

独立広場の周辺で23日、治安部隊との衝突で死亡したデモ参加者を追悼する市民(遠藤良介撮影)
 ウクライナでは東部を地盤とする親ロシア派のヤヌコビッチ政権が崩壊し、西部で強い支持がある親欧米派が再び政治権力を握ることとなった。首都キエフでの反政権デモが治安部隊との大規模衝突に発展し、死者80人以上を出した末の路線転換。キエフ市民からはデモの「成果」に満足する声が聞かれるものの、情勢が正常化して発展の軌道に乗るには、あまりに多くの課題と不安定要因がある。(キエフ 遠藤良介)

 真っ黒に染まった地面と一帯に残る焦げ臭さが、火炎瓶の飛び交った衝突の激しさを物語っていた。

 議会によるヤヌコビッチ大統領の解任から一夜明けた23日、デモ隊が拠点とするキエフ中心部の独立広場には何万人もの市民が繰り出して「勝利」を祝い、犠牲者を追悼した。

 中心部ではもはや警官の姿が全く目につかず、盾や棍棒(こんぼう)、ヘルメットで武装したデモ隊が警備や交通整理に当たっている。「マイダン(広場)の自衛」と名付けられた組織に属する武装デモ隊は大統領府や議会など権力の中枢を掌握し、施設を封鎖している。

 大統領府前のデモ隊に声援を送りに来た会社員のデミヤノビッチさん(36)は「デモで犠牲となった人々は私たちのより良い生活のために命をなげうった。独裁者のごとく振る舞ったヤヌコビッチが去り、ようやく民衆のための政権ができる」と語った。

 独立広場には多数の炊き出しボランティアなどが駆けつけており、流血までもたらしたデモがキエフ市民の共感を得ていることがうかがえる。

 「ロシアとつるんだヤヌコビッチ政権下で人々は圧迫され、腐敗に苦しんだ。国民はそのことに怒りの声を上げたのだ」。こう熱く語る建設業のルカシュクさん(44)は一連の動きを「クーデター」と批判する東部住民について、「プロパガンダ(政治宣伝)にだまされている彼らにも、欧州統合路線の正しさがきっと分かる。国が分裂することはない」と語った。

 だが、事がそう楽観できるものでないことは国の歴史からも明らかだ。

 ウクライナは13世紀のキエフ公国消滅後、ロシアとポーランドによる領有争いの場となって「東西分断の時代」が続いた。ソ連時代以前の西部がポーランドのカトリックの影響を強く受けた一方、長くロシア化政策がとられた東部ではロシアへの親近感が強い。

 西部住民が「歴史的な家への回帰」と考える欧州統合路線は、ロシア語使用者が圧倒的に多い東部にとって不安と反発の材料だ。

 ウクライナ経済はデモが始まった昨年11月時点で、すでに外貨準備高が輸入の3カ月分を割り込む危機的状況にあった。ロシア産の高い天然ガスを輸入しながら補助金で国内燃料費を安く抑えてきたため、財政と貿易の深刻な赤字にあえぐ。親欧米派が期待する欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)の支援を受ける上で、「痛み」を伴う改革を要求されることは避けられない。

 今回の政変で「敗者」となったロシアの出方も不安定要素だ。ロシアは昨年末に約束した150億ドル(約1兆5300億円)の対ウクライナ支援を30億ドル実行済みの段階で凍結した。国際社会では、ウクライナ向け天然ガス価格を駆け引きに使ったり、同国南部クリミア半島の海軍基地を足がかりに圧力を強めたりする可能性が真剣に危惧され始めている。

 親欧米政権を誕生させた2004年の民衆政変「オレンジ革命」が政権の内紛と経済不振、ロシアの圧力で破綻した事実は、独立広場に集う市民の記憶から消えてしまったようだ。


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