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国際政治・世界事情
7265
:
チバQ
:2014/01/12(日) 18:11:02
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140112/mds14011200460002-n1.htm
【シャロン元首相死去】
評伝 剛腕で知られた「入植者の父」
2014.1.12 00:45 (1/2ページ)
軍人時代のアリエル・シャロン氏=1969年1月(イスラエル国防省提供・ロイター=共同)
軍人時代のアリエル・シャロン氏=1969年1月(イスラエル国防省提供・ロイター=共同)
【カイロ=大内清】11日に死去したアリエル・シャロン元イスラエル首相は、同国現代史で最も毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物だった。イスラエル占領下にあったガザ地区から一方的撤退を実現した半面、テロ対策の名の下にヨルダン川西岸を寸断する分離壁建設を推進。これらはパレスチナ側にとり、実質的に占領状態を固定化しようとするものに他ならなかった。
シャロン氏は、1967年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸やガザは「歴史的なイスラエル」の一部であるとする大イスラエル主義を信奉。軍人から政治家に転身後は、国際社会から和平の障害になると非難されてきたユダヤ人入植地の建設を推し進め、その豪腕ぶりから「入植者の父」「ブルドーザー」などと呼ばれた。
93年にラビン首相(当時)がパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(当時)との間で結んだ、占領地問題での譲歩と引き換えに和平を実現しようとするオスロ合意には強く反発した。
しかし、国際社会が「パレスチナ国家」樹立をあるべき和平の形とみなす中、シャロン氏はその現実に対応するため、2001年に首相になると急速に方向転換する。05年に経済的利便性が少なく統治も困難なガザに見切りをつけて一方的に撤退する一方、西岸に散らばる入植地を取り込むなどしてパレスチナの人口密集地間を分断した上での「パレスチナ国家」樹立を容認する「和平」を実現に移そうとしたのだ。
ただ、シャロン氏の政策はパレスチナの経済的自立をより困難にするのみならず、パレスチナ人の居住する地域の面的な広がりを寸断するもので、パレスチナには受け入れがたいものだ。他方、イスラエルには、いかなる形での「2国家共存」も拒否する強硬派が存在し、近年はその影響力を増した。
昨年7月に再開された和平交渉は現在、入植地建設問題などをめぐる入り口の議論で停滞を続けている。両者が納得する解決策を見いだすのが極めて困難な中、パレスチナと国内強硬派の双方から反発を受けたであろう「和平」を目指したシャロン氏は、その構想を現実のものとすることなく帰らぬ人となった。
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