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国際政治・世界事情
7260
:
チバQ
:2014/01/11(土) 23:59:59
http://www.asahi.com/articles/ASG1B4WR8G1BUHBI013.html
シャロン・イスラエル元首相死去 対パレスチナ強硬派
2014年1月11日22時27分
イスラエルのアリエル・シャロン元首相が11日、入院先のテルアビブ近郊の病院で死去した。85歳だった。2006年1月に脳出血で倒れ、約8年間意識不明の状態が続いていた。
英委任統治下の1928年に現イスラエル中部のロシア系移民家庭に生まれた。英国からの独立を目指すユダヤ人武装組織に参加。48年のイスラエル建国後の4次にわたる中東戦争すべてに参戦し、数々の戦績を上げた戦場の英雄だった。
政治家に転身後は、強引な政治手法で「ブルドーザー」の異名を取った。国防相時代の82年に故アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)の拠点を一掃するためレバノン侵攻を指揮。レバノン民兵によるパレスチナ難民大虐殺事件に関与したとして国際的な非難を浴びた。住宅建設相などを歴任し、国際法違反の占領地でのユダヤ人入植地拡大を推進した。
右派リクード党首だった2000年9月には東エルサレム旧市街のイスラム教の聖地訪問を強行し、パレスチナ人による第2次インティファーダ(民衆蜂起)の引き金を引いた。
01年に首相に選ばれてからは、テロ掃討作戦としてパレスチナ自治区へたびたび侵攻した。イスラム組織ハマス幹部らの暗殺も繰り返した。パレスチナ人のテロを抑えられない故アラファト議長を「敵」だとして軟禁下に置き、自治政府を「テロ支援体制」と認定して議長府を爆撃した。イスラエルの治安維持では譲らず、「自爆テロ犯の侵入防止」としてパレスチナ人の街や村を分断する分離壁の建設を強行し、国際社会の非難を浴びた。
パレスチナとの和平対話を一方的に打ち切り、ガザの入植地を撤去しイスラエル軍を撤退する計画を05年8月に実行。結果的には和平の方針に沿う英断だとして国際社会からも評価された。
同年11月、突如パレスチナとの2国家共存を目指す方針を打ち出し、リクード党を離党して中道政党カディマを結成。政界を揺るがした。その直後に倒れ、シャロン氏がパレスチナとの和平の実現にどれほどの決意と構想を持っていたのかは謎のままに終わった。
ペレス大統領は11日、「国を愛し、国に愛された勇敢な兵士であり、勇気あるリーダーだった。難しい決断をし、実行するすべを知っていた」と死を悼んだ。
生前のシャロン氏と確執があったネタニヤフ首相は同日、「一番勇敢な兵士であり、最も偉大な軍司令官の一人だった。彼の記憶は国民の心に永遠に残るだろう」とたたえた。
一方、ハマスのバルフーム報道官は「暴君に神が与えた運命だ。手がパレスチナ人の血で汚れた犯罪者が死んだ歴史的瞬間だ」と述べた。(エルサレム=山尾有紀恵)
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