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国際政治・世界事情

7254チバQ:2014/01/11(土) 15:27:00
http://mainichi.jp/select/news/20140111k0000e030180000c.html

南スーダン:人が消えた町…紛争の2大民族、報復恐れ

毎日新聞 2014年01月11日 11時07分(最終更新 01月11日 15時10分)



閑散とした「ニュー・サイト」の集落。撮影中、どこからか急に男の子が現れ、ポーズを取った=ジュバ郊外で2014年1月10日、服部正法撮影
閑散とした「ニュー・サイト」の集落。撮影中、どこからか急に男の子が現れ、ポーズを取った=ジュバ郊外で2014年1月10日、服部正法撮影

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南スーダン・ジュバの地図
南スーダン・ジュバの地図

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 政府軍と反乱軍の戦闘開始から3週間以上が経過した南スーダン。戦闘が勃発した首都ジュバ郊外では、5000人以上が住んでいた集落から、攻撃を恐れて多数の住民が逃げ出した。戦闘に巻き込まれた居住区「ニュー・サイト」に10日入ると、独立機運の高まりと時期を同じくして2008年ごろにできた新しい街には、住民の激減で「ゴーストタウン」のような光景が広がっていた。【ジュバ服部正法】

 ◇戦闘に巻き込まれた「ニュー・サイト」

 ジュバ中心部から北に10キロ程度走ると草原の中から政府軍司令部が現れる。司令部周辺に広がる居住区「ニュー・サイト」は戦闘初日、司令部を急襲した反乱軍側と政府軍の激しい戦闘に巻き込まれた。

 町に入るに先立ち、政府軍関係者から「反乱分子が付近に潜伏している可能性がある」と忠告された。緊張感が高まっているので住民に民族名などを尋ねるのも避けた方が良いという。

 でこぼこ道に車を乗り入れると、草ぶきに土壁の家々やトタン板製の小屋などが草原に延々と続いていた。住居や倉庫、幼稚園……。建物の多さに比べ、人の気配が感じられない。

 わずかに残る住民に話を聞いた。いったん付近の村に避難したが、戻ってきたというパウリノさん(26)は、「戻ったら家の食料や家具などがなくなっていた。誰が略奪したかは分からない」とため息をつく。以前は市場で日用品などを売っていたが「仕事は再開できないし、食べる物もない」と暗い表情で話した。パウリノさんによると、ほとんどの住民が近隣の村などに逃げた。反乱軍側の服装は、制服と平服が半々程度だったという。

 記者が話を聞いたパウリノさんと別の男性は、同行した案内人によると、ディンカ、ヌエルのどちらの民族でもないようだ。紛争の主役となっているディンカ人とヌエル人の2大民族は互いの報復を恐れてニュー・サイトに戻るのが難しくなっている可能性がある。

 ニュー・サイトは、スーダン中央政府との内戦が終結(05年)し、南スーダン独立(11年)への道筋が見えてきた08年ごろ形成された。内戦を戦ったゲリラ組織が政府軍に生まれ変わるのをにらみ、新司令部を建設、その周辺に人が集まった。流入者の民族構成は多様だったという。

 南スーダンでは、先月15日にジュバで政府軍と、軍内部のマシャール前副大統領支持派が衝突。ジュバでは政府軍が反乱軍を抑え込んだが、その後各地に飛び火した。キール大統領の出身民族のディンカ人とマシャール氏の出身民族ヌエル人による報復合戦の様相も見せている。


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