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国際政治・世界事情

683名無しさん:2009/06/17(水) 23:37:38
http://newsweekjapan.jp/stories/world/2009/06/post-213.php
民衆の怒りと血で染まったテヘラン
Blood in Tehran

ムサビ支持者による穏健な抗議デモが過激化するまでの一部始終

2009年06月16日(火)16時48分
マジアル・バハリ(テヘラン支局)

 抗議デモは、こんな風に終わるはずではなかった。だが、結局はイランの首都テヘランで血が流れた──。

 これほどの群集が街頭に集まるのを最後に見たのは1978年11月、私が11歳のとき以来だ。イラン革命前年の当時、シャー(イラン皇帝)に反する抗議デモに300万人が参加したと報じられた。

 16日、少なくともその半数の人々が当時と同じ革命広場から自由広場までをデモ行進した。「私たちの革命から自由までの道のりが長いという意味をこめて、この経路を選んだ」と、54歳の大学職員であるアーマッドは言う(フルネームは教えてくれなかった)。

 彼は1979年のイラン革命の行進にも参加している。「当時と今の状況は似ている。私たちにははっきりとした目的があるからだ。当時はシャーを退陣させたかった。今は私たちの票を奪ったあのい『小さい男』が退陣し、民意を受けることを求めている」

 「小さい男」とはマフムード・アハマディネジャド大統領のことだ。彼の再選に抗議し、大統領選挙で敗れたミルホセイン・ムサビ元首相への支持を示すために何十万もの人々が街頭に集まった。デモ参加者は政府による街頭デモの禁止命令を無視した。




穏やかな抗議デモが一転......

 朝から、デモ行進が始まった夕方4時まで、政府系ラジオ局とテレビ局は「内務省は今日のデモにいかなる許可も出していない」と放送し、「法律に背くものは罰せられるだろう」と伝えた。前日と前々日同様、参加者は暴力を受けるか、銃撃されることを覚悟していた。

 私はデモの様子を撮影した。はじめは撮られることに躊躇し、情報部員ではなく記者であることを確かめるために記者証の提示を求めた彼らだったが、デモ参加者が増えるにつれ、リラックスし、カメラの前でポーズをとるほどだった。

 群集が落ち着いていた理由は、静けさだった。今日のデモは、ムサビ支持者が名づけた「選挙クーデター」に反対するものだった。参加者は手をたたいたり、過去数日のデモでムサビ支持者が叫んだ「神は偉大なり」というかけ声すらも控えるよう、おのおの声をかけ合った。

 15日の朝までデモ参加者を激しく殴っていた警官や治安部隊のそばを通るとき、デモ隊は彼らに微笑みかけたり花を手渡したりした。軍のヘリコプターがデモ隊の上を飛行した際には、デモ参加者は上空に向かって手を振り、Vサインを送った。


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