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国際政治・世界事情

6395チバQ:2013/06/05(水) 20:56:23
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130605/asi13060520000003-n1.htm
シャリフ氏を首相選出、パキスタン 経済手腕に期待
2013.6.5 19:56 (1/2ページ)

 1日、パキスタン下院で、議員の就任宣誓をするシャリフ氏(手前左端)=イスラマバード(パキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派提供、AP)
 【ニューデリー=岩田智雄】パキスタン下院は5日、総選挙で勝利したパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派(PML−N)のナワズ・シャリフ総裁(63)を首相に選出した。シャリフ氏の首相就任は3度目。パキスタンはエネルギー不足対策や経済再生など待ったなしの課題が山積しており、実業家出身の政治家としての手腕が期待される。

 シャリフ氏は演説で、「パキスタンの状態は言葉でいい表せないほど深刻だ」と述べ、汚職根絶や電力不足対策に取り組む決意を表明した。先月パキスタンを訪問した中国の李克強首相との会談で、南西部グワダル港と中パ国境を鉄道と道路で結ぶ計画で合意したと明らかにし、同港の中国への運営権移譲を「大変よい」と評価した。また、米国に無人機攻撃の停止を改めて要求した。

 シャリフ氏はカシミール地方のインド支配地域から移住してきたカシミーリー民族出身で、祖父は鍛冶屋から身を興し、自身は製鉄業で成功を収めた。

 1990年の下院選でイスラム民主同盟を率い、穏健派イスラム教徒の支持を集めて勝利し、大地主の政治家中心のパキスタンでは少数派のビジネスマン出身者として初の首相になった。国営銀行の民営化などで経済手腕を発揮するも軍との権力争いが表面化。さらに、93年にイスハク・カーン大統領との確執が深刻化し退陣に追い込まれた。

 97年の下院選でシャリフ派を率いて首相に返り咲き、98年に国際社会の警告を無視して核実験を挙行した。しかし、首相の権力強化を図ったことで再び軍と対立。99年にムシャラフ陸軍参謀長のクーデターに遭い、翌年サウジアラビアに亡命した。ムシャラフ政権が弱体化した2007年に帰国を果たした。

 今後は、国営企業の民営化などで経済の活性化を図り、深刻化するエネルギー不足の対策に取り組む。イスラム武装勢力との対話も模索しており、強大な軍との良好な関係を維持しつつ、米国の軍事・経済支援をどうつなぎとめるかが問われる。


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