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国際政治・世界事情

6018チバQ:2013/03/29(金) 23:06:42
http://mainichi.jp/select/news/20130329ddm007030173000c.html
さまよえる人々:シリア内戦と難民/下 「故国は血に染まった」
毎日新聞 2013年03月29日 東京朝刊

 ◇混乱に嫌気、外国に活路求める
 レバノンの首都ベイルート中心部にシリア資本の建設会社がある。従業員約200人の大半はシリア人。争いの種になるため、社内でシリア内戦の話は厳禁だ。「会社も自分も、今はレバノンで食べていくしかない」。設計士のマフムード・ハッダールさん(27)はそう語る。

 11年3月に始まったアサド政権と反体制派の衝突で多くの若者が国を離れた。ダマスカス出身のハッダールさんは11年7月に大学を卒業したが、知識を生かす仕事はなかった。卒業直後、空軍情報機関に拘束された。人違いだと分かったのは2日後。「惨めな経験だった」とだけ語った。

 故国に嫌気が差し、アラブ首長国連邦(UAE)で仕事の内定を得たが、就労ビザは出なかった。「シリア人だからでは」と感じた。レバノンでは大学の先輩の家に寄宿し、5〜6社の面接を受けたが「待って」と言われるだけだった。

 半年前、今の会社に入れた。建設作業員として働く弁護士の友人もいる。「内戦で人生が狂った」。ハッダールさんの声は暗い。

 人口約400万人のレバノンの失業率は内戦前から10%近く。30万人以上のシリア人が流入し求人は減った。特に専門職は就職が難しい。一方、非政府組織(NGO)関係者によると単純労働に就くシリア人は増加。月給400ドルのレバノン人を解雇し月60ドルでシリア人を雇った農場もある。

 ダマスカスの美術大学の教師だったイタブ・フレイブさん(58)。講座の約40人の学生は内戦の激化とともに減り、2月には3人になった。アサド政権側、反体制派に分かれて戦う教え子もいる。「本当に憂鬱」と嘆く。

 職場では学長がアサド政権への忠誠を強く求め、中立さえ許されない雰囲気。「このままでは芸術家としての感覚がまひする」。大学を辞め国外に出た。

 レバノンは今、シリアと海外をつなぐ中継地点でもある。シリアの外国公館の大半は国外に退去したため、ビザなしで半年間滞在できるレバノンで、他国の滞在許可を取得する事例が増えている。

 国境の往来は今も盛んだ。ベイルートとダマスカスの間の検問所では、シリアから避難してくる家族もいれば、レバノンで余暇を楽しみシリアに戻るビジネスマンもいた。

 フレイブさんはチュニジア大使館でビザを申請した。チュニスで個展を開き、友人が住む米国に向かおうと考える。「私は故国を愛している。けれど、シリアは血の赤に染まってしまった」【ベイルートで秋山信一】


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