したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

5863チバQ:2013/03/06(水) 22:22:17
チャベス氏は1992年のクーデターでは権力を握ることに失敗した。その後、99年に選挙で勝利して大統領の座に就いた。そして、死去するまで権力を維持し続けた。

チャベス氏は、政権の座に就くとすぐ、制憲議会を召集した。新憲法では、大統領は2期までとされた。チャベス氏は再び選挙を実施して再選を果たすと、それを2期目の始まりとした。2006年に3選されると、チャベス氏は、再選の上限を撤廃するための国民投票を呼びかけ、30年まで大統領でい続けると語った。チャベス氏は昨年の大統領選で4選を決めた。死が訪れなければ、チャベス氏は永遠に大統領であり続けたかもしれない。

選挙制度の操作は、チャベス主義が残した最も致命的な遺産の一つだろう。例えば、ニカラグアでは、オルテガ大統領がチャベス流のやり方を受けついだ。同国の憲法は大統領の再選を禁じているが、最高裁は法の下の平等に反するとして無効との判断を示している。

他の中南米諸国の大統領もチャベス氏の大衆迎合的で非民主的なスタイルをまねて、野党を抑圧したり、メディアを規制したり、司法制度を傷つけたりしている。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、チャベス氏が大統領を務めた14年間で、民主的な自由度が一貫して後退し続けたと指摘。HRWは「チャベス氏とその支持者が彼らの政治課題に介入するベネズエラ人を脅迫したり罰したりするための自由裁量を政府に与えるシステムを構築した。これにより、裁判官やジャーナリスト、人権活動家に対する危険がますます大きくなった」と結論付けている。

チャベス氏とその支持者は、民主主義的な正当性を主張し続け、実質的なあらゆるレベルで権力を握った。チャベス氏らは、野党にも活動を許したが、米国と同様に国家の災難に対する非難を浴びせる対象となった。

司法制度は特に政府の道具となり、犯罪率が跳ね上がり、殺人事件の発生率が過去に例のない水準にまで上昇し、多くの犯罪が未解決となる中でも、政治的な目的に使われた。政府は犯罪に関する統計を取ることをやめた。しかし、民間組織の統計によれば、チャベス氏が政権の座に就いて以来、11万8000件を超える殺人事件が発生している。専門家によれば、政治制度の問題の一つは、他の政府機関と同じように、専門的というよりは政治的になってしまったことだという。

チャベス氏は批判的な報道を差し止め、情報公開を抑圧し、反体制派のメディアの一部に対して放送免許の更新を拒んだ。

中南米では最近、チャベス主義の訴求力は低下している。対立をあおらず、より民主的で、より効果的なやり方が主流となりつつある。

ベネズエラでは、チャベス氏が舞台から去り、いくつもの疑問が浮かんでいる。

チャベス氏の支配の激しさはベネズエラに危険な分断を残した。ベネズエラは社会的、経済的に深刻な問題に直面している。マドゥロ副大統領による非難の言葉は、火に油を注ぐものだ。

チャベス氏は、貧しい人々が力をつけ社会が分断された国から去った。チャベス氏は、自身が示したものとは別の選択肢がかつてないほど魅力的に見える大陸を後に残し旅立った。





本記事は、フリーダ・ギティス氏による特別寄稿です。ギティス氏は米紙マイアミ・ヘラルドや米誌ワールド・ポリティクス・レビューのコラムニストです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板