したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

5604チバQ:2013/01/13(日) 15:29:22
http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000e030098000c.html
フォークランド諸島:英国とアルゼンチンの対立が再燃
毎日新聞 2013年01月13日 14時12分(最終更新 01月13日 14時23分)

 【メキシコ市・國枝すみれ】約30年前に南大西洋のフォークランド(アルゼンチン名・マルビナス)諸島の領有権を巡って戦った英国とアルゼンチンの対立が再燃している。同諸島の返還を迫るアルゼンチンに対し、英国は必要とあれば軍事力の行使も辞さない構え。島では3月に帰属を決める住民投票が予定されており、緊張は高まっている。

 フォークランド諸島はアルゼンチン沖にあるが、英国が1833年から実効支配し、住民の多くは英国系。1982年、アルゼンチンが奪取を目指して侵攻したが英国に反撃され、約2カ月半の戦闘の末に敗退した。この紛争で、アルゼンチン軍は649人、英軍は255人が戦死した。

 今回の対立再燃の直接のきっかけは3日、英国のガーディアン紙に掲載されたフェルナンデス・アルゼンチン大統領の公開書簡だ。「180年前、英国はアルゼンチンからマルビナス諸島を奪った」と訴え返還を迫る内容。アルゼンチン政府は同じ書簡を国連の潘基文(バン・キムン)事務総長にも提出した。

 一方、英国のキャメロン首相は「島民は自らの意思で(英国に所属することを)選択してきた」と反論し、帰属は島民が決めるべきだと主張する。英BBCテレビの取材に対しては「英国は世界5位の軍事予算を誇る」と話し、フォークランド諸島の領有権が脅かされた場合、必要ならば軍事力で対応する姿勢を示唆した。

 英国の大衆紙サンも「数百万の読者を代表して言う。(島に)手を出すな」と強い表現でフェルナンデス大統領に警告。「フォークランド諸島はアルゼンチンが建国される以前から英国のもので、アルゼンチンが所有したことは一度もない」と主張、大統領の歴史認識を批判した。

 アルゼンチン国民の一部は、サン紙の主張が掲載された英字紙や英国旗を燃やして怒りを示した。一方で、「国内問題から国民の目をそらすために領土問題を利用している」と英国側の大統領批判に理解を示す声もある。

 両国は90年に国交を回復している。しかし、2010年に英企業がフォークランド諸島沖で油田開発を始めたことでアルゼンチン政府が態度を硬化させ、「島を取り返すため政治、文化、外交などあらゆる手法で戦う」と宣言した。

 地元議会は紛争から30年の12年6月、帰属を問う住民投票の実施を決定。住民の大部分は英国系で、改めて英国への帰属を制度化する狙いがあるとみられる。

 ★フォークランド諸島 アルゼンチンの東約480キロの南大西洋上にある約200の島。総面積約1万2173平方キロで英国人約3000人が暮らす。スペインから独立したアルゼンチンが1820年にスペイン領だった同諸島の領有権を主張したが、1833年に英国が海軍を駐留させ実効支配を開始。1982年にアルゼンチンが侵攻したが英国に敗退した(フォークランド紛争)。近海に油田があるとされ、領土問題の一因になっている。

 ◇フォークランド諸島を巡る出来事
1820年 アルゼンチンが領有権を主張

1833年 英国が実効支配を開始

1982年 フォークランド紛争(4月2日〜6月14日)

1990年 英国とアルゼンチンが国交回復

1994年 アルゼンチン憲法改正、フォークランド諸島に対する主権を明文化

1995年 英首相とアルゼンチン大統領が紛争後初の会談。資源共同開発で合意

1998年 アルゼンチン大統領が訪英

2001年 英首相がアルゼンチン訪問

2007年 アルゼンチンが共同開発破棄

2010年 英企業が同諸島沖油田の調査

2012年 ウィリアム英王子を同諸島に派遣(2月)。周辺海域に英駆逐艦(4月)。アルゼンチンが石油採掘英企業に法的措置をとると決定(6月)

2013年 フェルナンデス・アルゼンチン大統領が島の返還求め意見広告。キャメロン英首相は領土交渉に応じない考え(1月)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板