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国際政治・世界事情

5573チバQ:2013/01/07(月) 23:31:24
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013010402000088.html
国境 交錯の現場 (3)ロシア・アムール州 中国人頼みに警戒感
2013年1月4日 朝刊

ロシア・ブラゴベシチェンスク市と中国・黒河市との間の氷結したアムール川を進むホーバークラフト(後方は黒河市)


 マイナス二〇度以下の寒風にさらされ、氷塊で覆われたアムール川。北岸のロシア極東アムール州ブラゴベシチェンスク市と、約五百メートル離れた対岸の中国黒竜江省黒河市を橋の代わりに結ぶホーバークラフトが、雪煙を巻き上げる。

 運航は十数分おき。片道わずか五分ほどで、短期滞在なら査証(ビザ)は不要。年に延べ約百十万人が行き交い、国境を越えて商品を持ち込む「担ぎ屋」も盛んだ。

 だが、ロシア側では中国人への風当たりが強まっている。

 「中国人抜きで農業を発展させたい」

 農業を営むソコロフスキーさん(49)は、今春造成が始まる「チギリンスキー農業パーク」用地できっぱりと口にした。

 国や州が進める「農業パーク」構想は、農場や研究所や加工販売施設を複合的に建設する計画。五十ヘクタールの用地整備だけで約一億二千万円かかる州最大の事業だ。地元のアダメンコ区長も「日本の農業技術を移転してほしい」と熱望。州などは昨夏、東京農工大の研究者や愛知県豊橋市の農家を視察に招待した。

 「中国外し」が語られる背景には、人と物の大量流入により極東が、「中国化」されることへの強い警戒感がある。

 遊休地に目を付けた中国人が農業労働者として流れ込み、現在ロシア全土で中国人の耕作面積は約四十万ヘクタール。土地そのものの生産力を度外視して無認可の農薬を大量に使う「収奪農法」を行っているとも批判される。

 「見てくれ。中国人が放り出したんだ」

 国から四百ヘクタールを借りたロシア人男性(47)の農場には、夏期に雇った中国人労働者の小屋やビニールハウス十数棟が放置されていた。ポリ袋が窓ガラス代わりに張られた小屋には、生活用品や干からびたキャベツが散乱。周囲には農薬とみられる褐色の液体が入ったドラム缶十数本が無造作に置かれている。男性は、国との二十年契約を打ち切らざるを得なかった。

 面積でロシア全土の三分の一以上を占める極東連邦管区の二〇一〇年の人口は約六百三十万。社会主義時代の集団農業体制が解体し、シベリアなど寒冷地への優遇措置も撤廃されて雇用環境は悪化。旧ソ連崩壊前に比べ、人口が約二割減少したとされる。

 このため、ロシア農民より二割高い月約五万三千円の給与を払っても中国人を雇う農場が少なくない。中国の農民をロシアへ送り込むビジネスを手がける黒河の中国人女性は「ロシアでは報酬が中国の十倍以上になる。農民が減るロシアにも利点があり、相思相愛の関係」と話す。

 しかし、ブラゴベシチェンスクでは「約二年前から中国人が市場や流通も管理し始めた」と別の農場主。危機感を強めた州は、今春から中国農民を受け入れない方針を決めた。理由についてゴレボイ州対外経済観光企業相は「中国人は税金を払わない」と強調する。

 ただ、街で売られる雑貨や食料の半分以上は対岸からの輸入品。農業の発展には労働者の確保も必要だ。「中国なくして生活は成り立たない」と地元経済誌のデルガチェワ記者。それでも住民には「基幹産業の農業を乗っ取られることへの拒否反応が強い」という。

 (ブラゴベシチェンスクで、原誠司、写真も)

<ブラゴベシチェンスク市と黒河市> 帝政ロシア時代の1900年にロシア軍による虐殺事件があり、中ソ対立が激化した1968〜69年に起きた両軍の軍事衝突の舞台の一つ。旧ソ連末期からは査証の相互免除などが進み、経済交流が拡大。一時は中ロ国境貿易の最大拠点となった。しかし、ロシアは2010年に違法移民取り締まりの強化を決めるなど、中国人の大量流入への警戒を強めている。


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