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国際政治・世界事情

5567チバQ:2013/01/07(月) 23:25:28
http://mainichi.jp/select/news/20130104ddm007030093000c.html
領土と主権:第1部・独仏和解の現場から/3 不名誉な歴史背負うビシー
毎日新聞 2013年01月04日 東京朝刊

 ◇「ナチス協力政権」崩壊から69年
 フランス中部ビシー市中心部の公園。脇に建つ白い6階建てのアパートに目を留める人は少ない。「ペタン元帥の執務室は3階。建物の前でみんなで元帥の歌を歌った」。近くに住むクロディ・ドゥバイアンクールさん(83)が、少女だった73年前を思い出す。建物の名は「オテル・デュ・パルク」。第二次世界大戦中、フィリップ・ペタン元帥が率いる通称「ビシー政権」が設置された場所だ。パリなど北部がドイツ占領下にあったフランスで、ドイツに協力しながら南部の「自由地域」を統治した。だがナチスに加担した不名誉な歴史から、市には当時を記録する資料館も記念施設もない。

 昨年10月、ビシーを巡る一本の法案が国民議会(下院)に提出された。起草者は地元選出のジェラール・シャラス下院議員(68)。「ビシー政権」の通称を公的文書で「ペタン独裁」に改めることなどを求める内容。「ビシーのイメージが悪化し、観光産業などが経済的損失を被ることを防ぎたい」と法案の意図を語る。

 クリストフ・ポムレ市議(48)は「ビシー」の名の不公正な使用をインターネットでチェックする。サルコジ前大統領が「ビシーがフランスを辱め、裏切った」と演説したことに抗議したこともある。

 1940年、対独戦に敗れたフランスは、第一次大戦の英雄ペタン元帥に全権を与え、ドイツと休戦条約を結んだ。厭戦(えんせん)ムードから国民に歓迎され「世論調査があれば支持率は90%を超えていたはずだ」と元薬剤師のジョルジュ・フリューリさん(87)は回想する。

 だが戦後、ユダヤ人移送への積極的関与などが明らかになると、「ビシー政権」は厳しい批判の対象となった。仏国立科学研究センターのアンリ・ルソー研究部長(歴史学)は「ユダヤ人迫害に協力したのは『ビシー政権』であり、一般国民ではなかったという物語をフランス人は信じたかった」と解説する。「ビシー政権」の名とともにビシーの町のイメージも悪化した。

 当時の政権に関する博物館の建設の是非を巡って、地元でも意見が分かれる。シャラス下院議員やポムレ市議らは「ビシー」と「ビシー政権」の混同をなくしたうえで、国と共同で博物館や資料館を作り、当時の研究の中心地になるべきだと主張。一方、クロード・マルレ市長は「過去より未来に目を向けるべきだ」との立場で態度を保留している。

 市内に住む映画監督のベルトラン・ドゥソリエさん(58)とポール・ミュクセルさん(42)は「住民があまりにも町の歴史を語らない」ことに危機感を持ち、市民や歴史家など50人以上の証言を集めて「フィリップ・ペタン」(10年)など2本のドキュメンタリー映画を製作した。「これからも歴史と記憶の関わり、変化をテーマに町を見守りたい」と語る。

 44年のペタン政権崩壊から69年。記憶を巡るビシーの迷いは続く。【ビシー(仏中部)宮川裕章】=つづく

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