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国際政治・世界事情
5566
:
チバQ
:2013/01/07(月) 23:23:34
http://mainichi.jp/select/news/20130103ddm007030066000c.html
領土と主権:第1部・独仏和解の現場から/2 歴史が翻弄、国境の街
毎日新聞 2013年01月03日 東京朝刊
◇反原発、草の根の連帯 両国の市民が集会
ライン川を望むドイツ南西部ミュルハイムでは毎週月曜、対岸のフランス・フッセンハイム原発の運転停止を求める市民グループ「フッセンハイムを止めよう今!」が集会を開く。昨年最後の集会となった12月17日は約30人が集合。フランスからも会社員、ジル・バートさん(49)が30キロの道のりを自転車で駆け付け、仏語で「フェルモン(閉鎖しよう)!」と気勢を上げた。仏アルザス地方などライン川両岸は、独仏両国の領有争いに翻弄(ほんろう)されてきた。だが今、住民運動による協力が新しい絆を強めている。
集会の輪の中に、ステッキを手にした老人がいた。ドイツ敗戦時、15歳だったアルトア・クルツさん(83)。間一髪で地雷の被害から生き延びた恐怖を忘れない。「戦時中を考えるとさまざまな感情がわく。でも戦後は、地域のためにそうした気持ちを乗り越えなくてはならなかった」。横でフランス人のバートさんがうなずく。
アルザスの「戦後」は今も続く。「マルグレ・ヌ(自らの意思に反して)」と呼ばれるドイツ領時代に強制徴用されたアルザス・ロレーヌ地方出身のフランス人は約13万人に上り、第二次大戦で4万人以上が死亡・行方不明となった。当時の兵士らでつくる「強制徴用兵の会」などは、国内の一部で残る「裏切り者」の偏見をなくそうと活動を続け、孤児らがつくる「孤児の会」は親の身元の特定と国への賠償請求などの活動を行っている。
そんな中、かつての紛争地の住民の交流を深める契機となったのは「原発」だった。
70年に仏フッセンハイム原発の建設計画が持ち上がると、翌年のデモには近隣住民など1500人が参加。150人がライン川対岸のドイツ人だった。75年にはドイツ側の都市ウィールの原発建設予定地付近でも両国市民約3万人がデモを展開。地元の州首相は83年、独ウィール原発の建設中止を宣言した。
この運動に参加したアルザス出身のフランス人、ジャンジャック・レティグさん(73)は「ドイツ人と一緒に抗議のための小屋を建て『友好の家』と名づけた。政治家よりも住民の友好の方が先行した」と当時を振り返る。レティグさんの両親はドイツ領時代に生まれてドイツ語で教育を受け、その後、フランス人になった。兄は仏領時代に生まれ、ドイツによる併合後に強制徴用された「マルグレ・ヌ」。家族は歴史に振り回されてきた。
レティグさんは今、独仏両言語を話せる強みを生かして両国の環境保護運動の橋渡し役を務める。「戦争続きだった先祖を思うたび、過ちを繰り返してはならないという決意を新たにする」。戦禍を経験した草の根の連帯が、両国の友好を支えていく。【ミュルハイム(独南西部)篠田航一、コルマール(仏東部アルザス地方)宮川裕章】=つづく
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