したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

5324チバQ:2012/11/18(日) 05:10:30
http://mainichi.jp/select/news/20121114mog00m030001000c.html
揺らぐイラン:制裁下の市民は/3 アフガン難民「苦渋の選択」 保護に陰り
2012年11月14日


2歳の長女を抱え、途方に暮れるアフガン難民のバシールさん(右)。父親(左)も高齢で働けなくなった=テヘラン北部で2012年10月、鵜塚健撮影
拡大写真 テヘラン北部の山間に小さな住宅が密集するファラザード地区。「建設現場から声がかからなくなった。今月の家賃が払えるだろうか」。アフガニスタンからの難民、バシールさん(31)は子供を抱え、途方に暮れていた。

 アフガン西部ヘラートの出身。反政府勢力タリバンが町に入り込み治安が悪化した96年、イランに逃れ、2年後に父や弟らを呼び寄せた。テヘランでアフガン人女性と結婚。2人の子供も生まれ、家族11人で暮らす。「必死に働き、平和でそこそこ幸せだった。しかし、昨年から仕事が急激に減って苦しくなった」。9月にはイラン通貨が急落し、アフガン通貨に換算すると収入は2年前の3分の1になった。

 バシールさんが住むアフガン人居住地区では、この1年で少なくとも約40家族が母国に帰還した。2歳の長女と生後まもない長男を抱えるバシールさんも帰国を考えないではないが「もはやアフガンに頼れる親族はいないし、治安も心配」。子供の将来のため、豪州や北欧など「第三国」への難民申請も検討しているが、認められるケースはまれだ。

 79年のソ連侵攻、90年代後半からのタリバンによる実効支配、01年の米軍侵攻。アフガンが混乱するたび、イランとパキスタンは多くの難民を受け入れてきた。イラン内務省によると、昨年7月時点でアフガン難民約102万人を受け入れ、学校教育や医療を提供した。奨学金に支えられ、イランの大学を卒業したアフガン人はこれまでに1万3000人を数える。

 しかし、イラン政府が米欧の経済制裁下に置かれるにつれ難民の生活は変わった。政府の財政悪化に伴い、ガソリンや食料の価格高騰を抑止するための事業者への補助金は大幅に削減された。物価高が進み、イラン政府は生活支援のため国民に給付金を支給したが、難民は対象外となった。手厚い難民保護で知られてきたイランはいま、その「余裕」を失いつつある。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、イランでは11年、前年比120%増の難民約1万8667人が母国に帰還。今年もすでに8月時点で1万人を突破した。イランからトルコに密入国するアフガン難民も目立ち、数千人規模に達しているという。

 ベルナルド・ドイルUNHCR駐イラン代表は特に、アフガン難民の直面する「苦渋の選択」を強調した。「一般的には難民は母国に帰還するのが望ましい。だがアフガンは現在も情勢が不安定で、仕事や教育の機会も十分ではない。彼らは帰国しても生活の改善は望めない」。ドイル氏はイラン政府について「長い間、アフガン難民に寛容で、国際的義務を十分果たしてきた」と評価。むしろ米欧の制裁という「外的要因」が弱い立場の難民を追い詰めていく現状に「複雑な思い」を抱かずにはいられないという。【テヘラン鵜塚健、写真も】=つづく


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板