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国際政治・世界事情

4955チバQ:2012/09/03(月) 22:10:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120902-00000080-mai-int
<ゴラン高原>シリア人社会に亀裂 アサド政権に賛否
毎日新聞 9月2日(日)22時19分配信

アサド政権を支持するジャド・ナセルさん(右から2人目)ら、ブカータ村の長老たち=ゴラン高原ブカータで2012年8月17日、花岡洋二撮影

 シリアのアサド政権を支持すべきか−−。長年イスラエルの占領下に置かれながら苦難を乗り越えてきたシリア領ゴラン高原のシリア人社会に、亀裂が生じている。内戦状態に陥ったシリアのアサド政権を称賛する市民がいる一方で、政権の「市民弾圧」を批判する人々も増えつつある。北部の村々を訪ね、アサド政権への思いを聞いた。【ブカータ(ゴラン高原)などで花岡洋二】

 イスラエルは1967年の第3次中東戦争でゴラン高原を占領し、81年に併合を宣言した。占領当時、約13万人いた住民の大半がシリア本国に逃れ、約7000人が残った。今はその子孫ら2万人と、イスラエルの占領後に入植したユダヤ人約2万人が暮らす。

 ゴラン高原でシリア人が特に多く住むのは北部の五つの村だ。その一つ、ブカータに足を運んだ。家々の玄関や室内でアサド大統領や父のハフェズ前大統領の写真が飾られている。リンゴ農家のジャド・ナセルさん(64)は「大統領は私たちを占領から解放しようとしてきた。だから米国や外国勢力が倒そうとしているのだ」と語気を強めた。

 イスラエルとシリアの国交はなく、行き来は制限されてきた。だがシリアの大学に入った学生や、結婚する女性には例外的に渡航が認められ、血縁関係を通じたつながりは今も強い。シリア政府は学生の学費免除や生活費の補助、地元名産のリンゴをシリアで販売するための補助金を出すなど「支援」も続けてきた。

 本来はアサド政権に親近感を抱く住民の多い地域だが、シリア国内の戦闘激化が進むにつれ、政権批判を強める市民も目立ち始めている。オンライン専門ニュースサイトの記者、アタ・ファルハトさん(40)によると「あちこちの家庭でアサド政権支持派と反対派に分かれ、激論を交わしている」。ファルハトさん自身も周辺の住民と議論しているが、最近はコミュニティーの「亀裂」さえ感じ始めている。「孤立した小さな社会で、私たちはこれからも一緒に暮らしていかなければならない。流血の事態になるようなことは避けたい」と心配顔だ。

 イスラエルによる併合宣言当時、村人たちはイスラエル国籍を取得するか否かで分裂。一部は取得したが、その結果、親族関係が断絶されたままのケースもある。ファルハトさんは、「紛争」が再び村人を引き裂くのではないかと懸念している。

 別の村マジダルシャムスに向かった。中心部には、やはりシリア国旗が翻る。だが村では7月、アサド政権を批判するデモが起き、支持派との衝突に発展した。アサド政権を批判する通訳業のシェファ・アブジャバルさん(26)はインターネットの交流サイト、フェイスブックで反体制派の活動を紹介したが、「友達だった人から『裏切り者』とののしられた」。嫌がらせの書き込みが相次ぎ、サイトは閉鎖せざるをえなくなったという。

 村内にある人権団体「アルマルサド(観測所)」の研究員、サルマン・ファハルディーンさん(58)は「アサド政権は民主主義を暴力で抑圧した。それに、アサド政権はイスラエルの占領と真剣に闘ったことすらない」と批判を強める。ファハルディーンさんは占領への抵抗運動で6年間投獄された。村人たちは同じように「抑圧と闘う」意識が強いという。

 ただ、「反アサド」を表だって主張する住民はまだ全体の「2割程度」(アブジャバルさん)。年配者を中心に、母国への帰属意識の強い人が多く、また本国にいる親族やゴラン高原返還後の自身の安全などを心配して、姿勢を鮮明にできない人もいる。


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