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国際政治・世界事情

4439チバQ:2012/06/02(土) 22:13:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120602-00000071-mai-int
<エジプト>揺れる世論 大統領選影響も…ムバラク氏終身刑
毎日新聞 6月2日(土)21時38分配信

 【カイロ前田英司】約30年に及び独裁的統治を続けたホスニ・ムバラク前大統領(84)に対する2日の終身刑判決を巡り、エジプト世論は複雑に揺れている。高齢なども考慮して評価する声がある一方、求刑通りの死刑でなかったことへの不満は根強い。16〜17日に控える大統領選の決選投票に影を落とすのは必至で、反体制派の弾圧を続けるシリアのアサド政権の今後の対応にも、影響を与える可能性がある。

 「私はデモの最中に右手を失った。しかし、判決で正義は守られた」。公判が開かれたカイロ郊外の警察学校に北部アレクサンドリアから駆けつけたオサマ・モガジーさん(40)は泣いて喜んだ。「新指導者はこの判決から学ぶはずだ」といい、大統領選でムバラク政権末期のアフマド・シャフィク元首相が当選しても「気にしない」と言い切った。

 一方、女子大学生のイスラ・アレムさん(20)は「なぜ終身刑なのか理解できない」と悔し涙を流した。大統領選については「ムバラク時代に戻らないためにも(穏健派イスラム原理主義組織)ムスリム同胞団を支持する」と話した。

 同胞団傘下の自由公正党のムハンマド・モルシ党首と、シャフィク元首相の一騎打ちとなった大統領選の決選投票を巡り、エジプト社会は割れている。とりわけ元首相は旧体制の「残党」と非難され、変革を求める人々の敵対心は激しい。

 2日の終身刑の判決直後から、カイロ中心部のタハリール広場には終身刑に不満を訴える人々が集まり始めた。政治評論家のイブラヒム・ナワール氏は「判決はシャフィク氏への反発を加速させるだろう」と分析した。

 一方、長年の最高権力者が一転して国民の前で裁かれたムバラク公判は、混迷するシリア情勢を含め、非暴力的な権力移行の前例になる可能性はある。

 父の代から40年余にわたりシリアを統治するアサド大統領は、国内少数派のイスラム教アラウィ派出身で、国の要職を親族ら同派関係者で固め、強権政治を敷いてきた。体制崩壊はアラウィ派没落の危機で、弾圧を続ける大統領の脳裏に、徹底抗戦の末に昨年10月に拘束・殺害された、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐の末路が浮かんでいる可能性はある。

 他に中東の民主化要求運動「アラブの春」で失脚した独裁者では、チュニジアのベンアリ前大統領はサウジアラビアに亡命し、昨年6月に欠席裁判で有罪判決を受けた。一方、イエメンのサレハ前大統領は今年2月、刑事訴追の免責を条件に退陣に応じた。

 ◇ムバラク前大統領

 元空軍司令官。サダト大統領の暗殺を受け、81年10月、エジプトの副大統領から大統領に就任し、5期約30年の長期政権を敷いた。親米・親イスラエル路線で、イスラエルとアラブの仲介役や中東和平プロセスの進展などに努めたものの、「アラブの春」が波及し、独裁体制に国民の批判が集まり、11年2月に大統領を辞任した。

   ◆ムバラク氏の歩みとアラブの春◆

1981年10月 ムバラク副大統領から大統領に就任

 10年12月 チュニジア青年の自殺を機に「アラブの春」始まる

 11年1月 チュニジアでベンアリ政権崩壊

   1月25日 エジプト各地でムバラク氏退陣要求デモ

   2月11日 ムバラク大統領がエジプト東部の保養地に逃避、        大統領辞任

   5月24日 デモ参加者殺害指示などの罪で起訴される

   8月3日 初公判で無罪主張

   10月20日 リビアのカダフィ大佐が銃殺される

 12年1月5日 ムバラク被告に死刑求刑

   2月25日 イエメンで33年にわたるサレハ体制が崩壊

   6月2日 ムバラク被告に終身刑判決


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