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国際政治・世界事情

4275チバQ:2012/05/09(水) 23:15:46
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120508/erp12050815110004-n1.htm
【フランスの選択】
17年ぶりの社会党政権(上)サルコジ否定 打開策あるか
2012.5.8 15:09 (1/3ページ)
 6日のフランス大統領選決選投票で、社会党のオランド前第1書記(57)がサルコジ大統領(57)を破り、左派がエリゼ宮(大統領府)を奪還した。内務省が7日発表した最終開票結果によると、得票率はオランド氏が51.62%で、サルコジ氏は48.38%。オランド氏は、1958年発足の第五共和制で閣僚経験のない初の大統領となる。ただ、国内の経済政策はもとより、欧州債務危機対応、原発政策、アフガニスタン派兵などで軌道修正を表明しているが、外交を含めて手腕は未知数。ミッテラン氏以来の社会党大統領はどのようなかじ取りをみせるのだろうか。

 「私はフランス国民全員の大統領になる!」

 オランド氏は6日夜、中部コレーズ県の集会で、選挙戦で強調してきた「平等と公正の実現」を踏まえ、こう勝利宣言した。その後、フランス革命の舞台となったパリのバスチーユ広場で、支持者ら数万人と喜びを分かち合った。

 そこには、ミッテラン氏以来の社会党大統領誕生に対する興奮があったが、冷めた見方も少なくない。

 「積極的にオランド氏が選ばれたわけではない」

 パリ政治学院の研究員、ダニエル・ボイ氏はこう指摘する。経済改善への打開策を示せず、派手な私生活や振る舞いが批判されたサルコジ氏に、有権者が「ノン」を突きつけた結果にすぎないという。

 ジスカールデスタン元大統領以来、31年ぶりの現職敗北という屈辱を味わったサルコジ氏。選挙を終えると6日夜、同氏は政界からの引退を示唆した。

 「敗北の責任は私にある。私は仏国民の一人に戻るつもりだ」

 「もっと働き、もっと稼ごう」のスローガンの下、フランスを自由主義的な競争社会に改革することを目指して2007年、大統領に就任。外交面では北大西洋条約機構(NATO)の軍事機構に復帰したほか、リビアへの軍事介入を英国と主導し、存在感をアピールした。

 しかし、仏経済が金融危機もあって翻弄された。失業率は目標の5%への低下どころか、1999年以来最悪水準の10%に悪化した。ただ、「サルコジ氏が去っても、債務や失業も一緒に消えてくれるわけではない」とオランド氏自身認めるように、国内の経済・雇用対策で有効策を打ち出せないと、選挙での「興奮」はあっという間に「失望」に転化することになる。

 81年、ミッテラン氏が大統領に選ばれたとき、運動員としてその選挙戦を手伝ったのが当時26歳のオランド氏だった。

 社会党内で穏健派に属するオランド氏は、実は「現実主義者」(ボイ氏)。単一通貨ユーロ導入など、欧州統合を進めたミッテラン氏もそう呼ばれた。

 オランド氏は、電力の原発依存度を現行の75%から2025年までに50%に引き下げる「減原発」政策や、アフガン駐留の仏部隊について1年前倒しとなる12年末までに撤退させることを公約に掲げた。原発政策では、次世代型の欧州加圧水型炉(EPR)の推進方針も示している。

 オランド氏の元パートナーで、07年の大統領選に社会党の女性候補として出馬、サルコジ氏に敗れたロワイヤル氏は手厳しい。

 「(オランド氏の)30年という政治キャリアは、やらなかったことばかり…」 国際舞台での経験に乏しいオランド氏の外交姿勢の不透明さにも不安が残る。本来フランスは米英とも一線を画し、国益重視の独自路線だけに伝統的な外交に戻るとする観測も出ている。(パリ 宮下日出男)


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