したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

3369チバQ:2011/11/10(木) 12:12:29
http://mainichi.jp/select/world/news/20111109ddm007030182000c.html
ソ連崩壊20年:第2部 国家分裂の果てに/3 将来見えぬ「共和国」

ステパナケルト郊外に完成した空港の管制塔=10月27日 ◇ナゴルノカラバフ 凍結された民族紛争
 「愚かなことだ」。「ナゴルノカラバフ共和国」のアルチュニャン首相(36)は、伝えられる「敵国」アゼルバイジャンの軍備増強の動きを一笑に付した。「我々は戦争が何であるか知っているし、独立を守る覚悟はできている」。「首都」ステパナケルトにある首相職務室で自信満々に語った。

 旧ソ連のアゼルバイジャンからの独立承認を目指す「ナゴルノカラバフ共和国」は、アゼルバイジャン軍との戦闘で94年までに実質的に勝利した。だがその後も「国境」付近で散発的な銃撃が続く。民族が同じ「共和国」の後ろ盾となっているアルメニアは停戦後、アゼルバイジャンとの和平交渉を続け、米仏露が全欧安保協力機構(OSCE)の枠組みで調停役を担ってきた。だが交渉は実質的に進展していない。

 ステパナケルトの学生アーセルさん(19)は、90年代の紛争時に兵士の父を亡くした。今では「過ぎた出来事」とアゼルバイジャンへの憎しみは口にしない。それでも「共和国の将来」へ話が及ぶと、「経済的な展望がないので早く出て行きたい」と漏らす。

 長引く対立は、人口約14万人、約1万1500平方キロと秋田県並みの広さを実効支配する「共和国」の展望に影を投げかけている。在外アルメニア人の援助で建設ラッシュが続く一方で軍人が総人口の約15%を占める約2万人といわれ、労働力をそぐ形になっている。

 北と東をアゼルバイジャンに囲まれた「共和国」にとって、西のアルメニアへつながる幹線道路が「生命線」だ。ステパナケルトからアルメニアの首都エレバンまでの移動に5時間近くかかる。訪れた10月末、山岳地帯を通る道路には雪が降り積もっていた。ステパナケルトには民間空港が完成したが、「共和国政府」は「航空機を購入できないので、路線開通の時期のメドが立っていない」と説明する。

 91年のソ連崩壊に前後して、旧ソ連圏各地で「独立」を目指す民族紛争が起き、四つの「未承認国家」が残された。ロシアはこのうち南オセチアとアブハジアを08年のグルジア紛争後、国家承認したが、モルドバからの独立を主張する「ドニエストル共和国」とナゴルノカラバフは承認していない。ナゴルノカラバフでは「ロシアには期待していない」との声が大半を占める。ソ連崩壊から20年過ぎたが、「凍結された紛争」が解決する兆しは見えない。【ステパナケルトで大前仁】=つづく

==============

 ■ことば

 ◇ナゴルノカラバフ紛争
 旧ソ連アゼルバイジャン共和国領内のナゴルノカラバフ自治州で88年、人口の8割を占めるアルメニア系住民がアルメニア共和国への編入を要求し、当局と衝突。91年に住民投票を行い、「ナゴルノカラバフ共和国」樹立を宣言、アルメニアも本格介入した戦闘に発展した。死者・行方不明計約4万人、100万人以上の避難民を生んで94年に停戦。「共和国」は周辺地域の約7600平方キロも実効支配している。アルメニア系住民はキリスト教アルメニア教会、アゼルバイジャン人はイスラム教徒が多い。

毎日新聞 2011年11月9日 東京朝刊


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板